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散華

一部真斗←トキヤ&レン→真斗の心情描写とレン→トキヤの性描写が若干含まれますので、ご注意ください。
 時は徳川の時代。譜代大名の治める城下町に音也は住んでいた。以前はよい藩主に恵まれ、領民は不自由なく生活できていた。それが藩主が代わった頃より、税が苦しくなり領民の暮らしは厳しくなる一方だ。
 そんな中、音也は最近ようやく親方に一人前と認められるようになり、生活が苦しいと言っても仕事は順風満帆だ。


 音也は町を一人でぶらりと歩く。キョロキョロと周囲を見回すと、簪を売っている店の前でお目当ての人の姿を見つける。先日偶然に出会い、音也が一目惚れをした町娘だ。
 その人はどうやらお武家様の屋敷に勤めているようで、しがない町人の音也にとって高値の華の存在だ。それでも、その凛とした眼差しやしゃんと伸びた背筋に憧れを禁じ得ない。
 偶々町で姿を見られると、また一日頑張ろうと思えるほど、今の音也は彼女の虜だった。
 そもそも貧乏町人の音也と、彼女の出会いは偶然だった。道で草履の鼻緒が切れて困っている彼女を、音也が助けたのが出会いだ。
 その日偶々休みだった音也は、町をぶらぶらと歩いていた。何か面白いことでもないかとキョロキョロしていると、丁度すれ違おうとした同じ年くらいの娘が、つっかけて転びそうになった。それを音也が慌てて抱き留めて上げたのだ。


(中略)


「あちらの屋敷ですから、この辺りで大丈夫です」
 トキヤが立ち止まった。
「え?お屋敷まで送るよ」
 最後まで送っていくつもりだった音也は目を丸くする。しかし、音也の言葉にトキヤは首を振る。
「男の方と二人きりだと屋敷の人間に知られるわけにはいかないので」
「そっか……」
 音也は残念に思った。でもそれでトキヤの立場が悪くなったり、折檻されたりしたら、それこそ後悔する。
「もし何か困ったこととかあったら言ってよ。俺、おトキさんのためなら何でもするよ」
 音也は本気だった。それなのに、トキヤは本気にしなかったのだろう。さらりと躱されてしまう。
「お気持ちだけ受け取りますね」
 けれど、にっこりと笑ってくれた笑顔に、音也は惚けてしまった。
「では」
 会釈をして歩いて行ってしまう姿を、音也はただ眺める。
「かっわいぃ……」
 音也は無意識にぽろりと呟いていた。


◇ ◇ ◇


「トキヤはどこだい?」
 この一帯を治める藩主のレンは、気に入って侍らせている女中の姿が見えずに、お付きの者――ジョージへ尋ねた。
「おトキですか?そう言えば先ほどから姿を見ませんね。――これ!おトキはどこだい!!」
 廊下にジョージの声が響き渡る。
 音也と別れて屋敷に戻ったトキヤは、自身を呼ぶ声に慌てる。レンを怒らせると、碌な事がない。
 慌ててレンの居る部屋へ駆け込んだ。
「お待たせいたしました」
 しゃらりと簪についた房を揺らして膝をついたトキヤに、レンは満足そうに頷いた。
「食事にしよう」
 酌をさせるために、トキヤをちょいちょいと指で呼ぶ。お膳の前に座ったレンに、トキヤは近づいた。
「もっと近くにおいで」
 隣に膝をついたトキヤの腰を、レンが突然抱き締める。
「あっ」
 それにトキヤはバランスを崩して、レンに寄りかかってしまった。
「お屋形様っ」
 トキヤは慌てて離れようとしたが、レンが離さない。
「いいじゃないかい。ちょっとは色っぽくお強請りして欲しいね」
 スルリとレンの手がトキヤの尻を撫でる。内心でトキヤは嫌だと思ったけれど、咄嗟に声に出すのは堪えた。
 ここでレンに嫌われては目的が達成出来ない。
「仕方ないですね」
 トキヤは精一杯婀娜っぽくレンへ酌をする。「これでよいか」と視線を上げると、レンは面白そうに笑っていた。
 その真剣に取り合っていない様子に、トキヤはムッとする。生来の負けず嫌いが顔を出した。
「お屋形様。お食事もよいですが、おトキを味わってみませんか?」
 トキヤはレンの手をそっと持ち上げて、自分の胸元へ持っていった。生娘のトキヤにとって、精一杯の誘いだった。
「あははは……」
 それを見たレンが爆笑する。
 トキヤは先ほどまでの色気を一掃して顔を顰めてしまった。
「五十点。まだまだだな」
 レンの評価にますますトキヤの眉間の皺が寄る。
 しかしトキヤはその後のレンの指摘に、表情を強張らせた。
「膝が震えているよ」
 レンの手が膝頭を撫でて行く。
 レンに気取らせない自信があった。それなのに、怖くて堪らない気持ちが出てしまっていた。
 上手く欺けると思っていたのに、とんだ茶番だ。
 生娘のトキヤは、唯一と心に決めた人を失い、その復讐のため、レンに仕えている。
 あの方の敵を取るためなら、自分などどうなってもよい。そう思っていたけれど、覚悟が足りなかったようだ。
「怖がる娘を無理矢理どうこうする趣味はないんだ。覚悟が決まってから出直して来るんだな」
 まるで子供に相対するように諭すレンに、トキヤの頬は羞恥で染まる。
 レンの言葉は、トキヤがまだ恋も知らぬ少女のような言い方だった。


 悔しい。悔しい。
 それだけがトキヤの心を占める。
(あの方の――聖川様のために復讐を誓ったのに)
 障子から漏れる月明かりを頼りに、トキヤは着物の帯をほどく。
 真斗は幼い頃にトキヤを苦界から救い出してくれた人。だからトキヤは彼のために生きていくと決めていた。身分違いの恋が叶うなど、思っても願ってもいなかったけれど、傍にいられるだけで幸せだったのだ。ただ真斗の傍で、役に立ちたかった。
 それなのに。それを壊したあの男が――レンがトキヤは憎い。
(今の私の唯一の望みは、あの方の敵を取ること)
 帯が外れ、はだけた襟元をトキヤは握り締める。
(その為ならこの身など――どうでもいい。一度は死んだも同然だったこの命。あの方の敵を取るためらならば、どうとでも使って見せます)
 月明かりのもと。まだまだ覚悟の足りなかった自身を叱咤するように、トキヤは誓った。


 トキヤと真斗の出会いは、かなり遡る。
 トキヤは幼い頃に女衒に買われ、逸見屋という店で禿をしていた。そこに祖父に連れられた真斗がやって来ていたのだ。
 トキヤの面倒を見てくれている遊女の常連が、真斗の祖父だった。真斗の祖父はその遊女の一番の旦那で、トキヤも可愛がってもらったものだ。
「ハヤト。ちょっとお遣いをお願い」
 逸見屋でトキヤは親に付けられた名前を捨てて「ハヤト」と名乗っていた。
「あい。姉様」
 財布を預かってトキヤは急いで駆け出す。姉様の大切な方のための、おもてなしの品を買いに行くことを頼まれたのだ。幼い禿が張り切らないわけがない。
「あっこらっ!危ないから走らないのっ」
 背後からそんな心配を含んだ声がしていたけれど、そのときのトキヤには聞こえていなかった。
「――ぅわっ」
 廊下の角で出会い頭に人とぶつかってしまった。
 突撃しそうになって咄嗟に避けたトキヤは、廊下で盛大に転けてしまう。
「いたた……」
 ずてんと廊下に尻餅をついたトキヤは、傍から聞こえてきた声に慌てた。
「申し訳ございませんっ!!」
 大切なお客様に迷惑を掛けてしまうと、折檻されてしまう。それだけですめばいい。優しい姉様にも咎が及んだら、トキヤは後悔しきりだ。
 廊下で土下座してトキヤは謝った。
 いつも失敗をしてしまうドジな自分に、幼いトキヤは泣きそうだった。
 顔は子供らしくぷくぷくとして可愛らしいと言ってもらえる。けれど、少しふくよかすぎると楼主にも注意されていた。その上、人より不器用で芸事もなかなか上達しない。
 取り柄のないトキヤは、このままだと、水揚げをすませてもお茶を碾くだけだと意地悪な姉様に言われていた。
(少しでもお客様に気に入ってもらわないといけないのに)
「君は大丈夫?」
 そっと肩に手を置かれる。けれど頭を下げているトキヤに、相手の姿は見えない。辛うじて着物の様子から、相手も子供だと判断出来るだけだ。
「許してください!申し訳ございませんっ」
 子供と言っても、郭に足を踏み入れることを許される子供は、店にとっても重要な客の子供だ。
 ただただ必死に謝るトキヤに、相手はそっとトキヤの両肩に手を置いて、「顔を上げて」と言った。
 その促しに、トキヤは恐る恐る顔を上げる。
「怪我はしていない?」
 涙目で見たその人は、華やかな姉様達を見慣れているトキヤでも見惚れるほど、美しかった。
「―――」
 鈍くさいトキヤは、あまりの美しさにポカンと口を開けて眺めてしまう。
「痛いの?怪我をしたの?」
 いつまでも返事をしないトキヤに焦れたのか、その子供はトキヤの体をパタパタと触っていく。
「あ――…大丈夫です!それよりお客様こそっ」
 ようやく我に返ったトキヤは、やっと相手を心配する言葉を言えた。
「俺はちょっと当たっただけだ。君こそ転んで怪我をしていない?」
「私は頑丈なので大丈夫です!」
「真斗。どこにいる?」
 トキヤが一生懸命首を振っていると、廊下の奥から人を探す声が聞こえてきた。それに相手が反応する。
「お祖父様。真斗はここです」
 それでトキヤは目の前の男の子が「真斗」と言うのだと知った。
「ああ……急に姿が見えなくなって心配したぞ――」
 そう言いながら姿を現したその人は、おやっと表情を変えた。
「その子はあの子の……」
 その人は姉様の大切な方だった。
「いらっしゃいませ」
 トキヤはガバリと頭を下げる。上手いことの一つも言えないトキヤにとって、それが最上級の歓迎の気持ちだった。
「旦那様――ハヤトったら」
 真斗の祖父を追いかけてきたのか、姉様が姿を現した。
 状況から何があったのか察したのだろう。
「ふふ……まぁ禿の間は少しくらいお転婆な方がいいわ」
 本当なら営業中の店の中を走るなど許されない。それこそお客様へ怪我をさせてしまうことも考えられる。本来ならこってり叱られてもおかしくない失態だった。けれど姉様はトキヤが心底反省しているのを察して、廊下を走ってしまったトキヤを不問にしてくれた。
「真斗様。これは私に付いてくれている禿のハヤトです。確か同じ年――ね。仲良くしてくださるかしら?」
「はい」
 姉様の言葉に真斗がキリッと背筋を伸ばして頷いた。これがトキヤと真斗の出会いだった。


(中略)


 知った声が聞こえてトキヤが顔を上げると、そこには真斗がいた。
「聖川様」
 禿から新造の姿に変わってから、これが初めての対面だった。
「ハヤト――」
「いらっしゃいませ」
 前で組み合わせていた手をほどき、トキヤは伏して頭を下げる。
「ひさしぶりだな」
 そう言って真斗もしゃがみこんだ。
 そろそろとトキヤが顔を上げると、笑顔の真斗がいる。
「はい。おひさしゅうございます」
 もう新造になったのだ。禿の頃のように子供子供していられない。トキヤは澄まして真斗に告げた。
「あはは……そんなあらたまらずともよい」
 そう言う真斗だって、少し見ない間に大人っぽくなった。
「今日はお祖父様と?」
「ああ。ひさしぶりにお供で付いてきた」
「そうですか」
 トキヤがグズグズしている間に、すれ違ってしまったのだろう。今日姉様の所への登楼予定の客はいないから、トキヤがすぐに戻る必要もない。
「綺麗になったな」
 そっと真斗の手が頬に添えられる。
 笑みながら言う真斗こそ、トキヤから見れば美しい。
「ありがとうございます」
 トキヤは恥ずかしくて頬を染めながら、視線を反らした。
「何でこんなところに?姉様の傍にいなくてよいのか?」
 こんな入り口にいるトキヤに疑問を持ったらしい。自分のための客を物色していたなど、真斗には言えない。トキヤは決まり悪く顔を俯けた。
「何か俺で力になれることがあったら言ってくれ」
 トキヤは真斗の言葉に、恐る恐る視線を上げる。そう言われてもどうにもならないことだ。けれど、その気持ちが嬉しかった。
「大丈夫」
 思わず昔のように気安い言葉が出てしまった。
「そうか?――そうだ。ハヤトは時間があるのか?」
 探るような視線を真斗が向けてきたけれど、深追いせずに話を変えてくれた。それにトキヤはホッとする。
「あ、――はい」
 客探しを今日しないといけないわけではない。真斗は姉様の大事な旦那の孫だ。そう結論づけたトキヤは、真斗の問いに頷いた。
「少し庭を散歩したい。付き合ってくれないか?」
 その真斗の誘いに、トキヤは一も二もない。
「わかりました」
 心なしか弾む足取りで、トキヤは真斗と庭へ向かった。


「ハヤトッ!」
 ここ最近は疎遠になっていたのに、珍しく真斗が連日登楼してきてトキヤは驚いた。
「聖川様」
 姉様の部屋で真斗を迎えたトキヤは、その剣幕に恐れおののく。
「どう、されました?」
 昨日何か失敗してしまっただろうか。トキヤは逡巡した。
「お祖父様からお前が客を取ると聞いたが、本当か!?」
 真斗の問いにトキヤは固まる。唯一の救いは、それが小声だったことか。声を潜める程度には真斗も理性が残っていたようだ。
「そなたはまだ新造だろうっ」
 花街の常識で考えれば、水揚げ前に客を取ることなど、あり得ないことだった。それでも、この逸見屋では仕方ないこと。
「そうしなければ、水揚げもままならないのです」
 真斗にこんな事を言うなんて、トキヤは自分が情けなかった。自分の不甲斐なさが全ての原因だ。
 トキヤは手を握り締める。
「この見世は一見華やかですが、そんなに裕福ではないんです」
 華やかな衣装を仕立てるのにも大金がいる。水揚げをしてくれる客が用立ててくれたり、いい旦那が見つからなければ見世からお金を借りて自身で工面する。けれど今の逸見屋には妓にお金を貸すその財力さえなかった。
 そうしてトキヤには、水揚げをして旦那になってくれそうな人のあてもない。
 高利貸しに借りることは、楼主にその危険性を言い含められていたこともあり、候補にない。
「だからと言って新造のうちから客を取るなどっ」
 真斗はやりきれないと首を振った。
 肩に置かれた真斗の手に力が籠もる。
「――一週間。一週間俺に時間をくれないか」
 何を言い出すのかとトキヤは驚く。
「絶対に俺が何とかしてやる」
 その言葉にきっと無理だと思いつつトキヤは頷いた。
「一週間だけ――お待ちしています」


 それから一週間。真斗からは音沙汰がなかった。やっぱりとトキヤは自身を納得させる。
 本当は少しだけ期待していた。この苦界から救い出して欲しいなど贅沢は言わない。それでも初めては、誰とも知れぬ相手に捧げるくらいなら――出来ることなら真斗と、と。


(中略)


 トキヤは町中でついキョロキョロしてしまった。
 またあの青年に会えるのではないかと考えたのだ。
(あの赤い髪の毛――きれいだった)
 印象的な姿を思い浮かべる。
 トキヤが年頃になって男の人と普通に話をしたのは、実は音也が初めてだった。郭の男の人は怖かったし、お客様に対等に話など出来ない。唯一近くにいた真斗はトキヤにとって手に届かない高値の華で。年頃になってから、気安く会話をしたのは音也だけ。
 音也との接触はトキヤにとって新鮮だった。
 トキヤは郭の中で読んだ物語を思い浮かべる。年頃の娘が多い郭で好まれる内容だ。恋物語が多かった。辛い現実を忘れ、ひとときの夢の世界に浸る遊女達が好んだ内容は、好いた旦那と一緒になる物語。その中には、幼馴染みと一緒になった娘の物語もあった。
 恋を自覚する前から、幼馴染みに世話を焼く娘。それに惹かれていく相手の男。そんな定番の物語。
(まるで昨日の私のよう――)
 食事を持って男の家に行く。そんな自分にトキヤは頬を染めた。
「あっ」
 フッと視界を過ぎった赤に、トキヤは顔を上げて慌てて振り向く。
(音也――)
 そこには同僚とだろうか。連れだって歩く音也がいた。
 一瞬声を掛けようか迷う。けれど、昨日今日出会っただけのトキヤが声を掛けても、迷惑かも知れない。そう考えたら、声を掛けられなかった。
 それから何度かそういう偶然が続いた。もしかしてトキヤの買い物先と音也の行動範囲は被っているのかも知れない。
 何度か続くと、今度は音也を意識して探すようになる。けれどいつもトキヤが見かける音也は、忙しそうに駆けていたり、連れがいたりでトキヤが声を掛ける隙がなかった。
 出会いはまるで物語りのようだったけれど、現実はそうそう物語のようにはいかない。
 トキヤはがっかりする自分にそう言い聞かせた。
 トキヤと音也の関係は、ただ鼻緒を修理して貰っただけ。音也の単なる親切心だ。それなのにその先を意識している自分を、トキヤは嘲笑った。
 今日もトキヤはお遣いに出る。


(中略)


「かわいい」
 細工物を売っているお店で、二人で顔を寄せ合って商品を見ていた。細工師の音也もこういう物は興味深いらしい。
 そこに並んでいる赤い椿の簪に、トキヤの視線は惹きつけられる。
 値段を見れば簪一つに到底払える金額じゃなかったけれど、それは素敵だった。
「うん。赤い色似合うね」
 トキヤがその商品を気にしているのを察した音也が、その簪を手に取った。そうして音也がトキヤの顔の横に簪を翳す。
「房の色がちょっと大人っぽすぎるかなぁ……」
 紫の房に、音也は不満のようだ。
「こう言うの、好き?」
 音也に訊かれてトキヤはおずおずと頷く。ここで勢いよく頷いてはまるで強請っているようで、トキヤは躊躇したのだ。
「そっか」
 そう言いながら音也が簪を元の場所に戻す。
「じゃあ今度俺の作った奴をプレゼントさせて」
 両手を握られ瞳を見つめてそんな事を言われて、トキヤは視線を彷徨わせた。
「……はい」
 恋人同士の逢瀬のようで、恥ずかしい。
「なんだい、音也じゃないか!」
「うわっ!!」
 折角の雰囲気が台無しなほど、音也が驚いた。
「冷やかしなら帰った帰ったっ」
 ここでも店主と知り合いだったのか。偶々奥から出てきた店主が音也の存在に気が付いて、追っ払う仕草を見せた。
 その表情が怒ってはいないので、二人は気安い関係なのだろう。
「え〜〜ちょっとくらいいいじゃん!」
 先ほどまでの空気は既に霧散していた。
「デートならもっといい場所に連れて行ってやりなよ!」
 トキヤの存在に気がついた店主が、音也へからかうように言う。
「そんな〜〜」
 情けない声を出す音也に、沿道からも声が掛かった。
「そんなべっぴんさんを連れていて、こんなところじゃ彼女が逃げるぜ!」
 まるで音也とトキヤが恋人のようにからかう周囲に、トキヤは盛大な羞恥を感じて顔を俯けた。
「もう!みんなからかわないでよっ!!おトキさんとはそんなんじゃないんだからっ」
 その音也の言葉に、トキヤの胸はツキリと痛んだ。ハッとトキヤは正気に返る。
 それは事実で。トキヤと音也は恋人でも何でもない。友人と呼ぶにも日が浅い。顔見知りという全くの他人だった。
 トキヤの胸がシクシクと泣く。
「あのっ!」
 顔を上げて大きな声を出したトキヤに、周囲の喧噪が止まる。
「私そろそろ帰る時間なので!」
 トキヤは音也の反応を待たずに、そう言ってぺこりと頭を下げて走り出した。
 トキヤは居たたまれなくて、胸が痛くて、一秒たりとももうその場に居られなかった。
「あ――っ……おトキさん!」
 背中に音也の声が掛かったが、トキヤは振り返らなかった。無視して屋敷へ走る。
 一心不乱に走ったからか。あっと言う間に武家屋敷の並ぶ通りに戻る。そこまで来てようやく、トキヤは足を弛めた。
「私、馬鹿みたい」
 ポツリと呟く。トキヤは少し近づいた音也との距離に、胸を弾ませていた。
 
(復讐に生きると決めたのに――。恋なんて……)
 そう。確かにこの気持ちは恋だった。真斗に感じた淡い気持ちとも違う。この人の隣にいたい。私だけを見て欲しい。そう思う気持ち。
「こんな気持ち、邪魔でしかない」
 レンを何が何でも籠絡して、差し違えてでも真斗の復讐をする。そう決めたトキヤにとって恋心は邪魔だ。
 ずきずきと痛む胸を押さえて、トキヤはこんな気持ち捨ててしまわなければと思う。
 一見自堕落に見えて隙のないレンを殺すためには、古典的な方法だが無防備な閨で目的を遂げるしかない。
 感の鋭いレンのことだ。偽りはすぐに露呈するだろう。身も心もレンに溺れて、初めて隙が出来る。
「この身は聖川様のために使うと決めたはず――」
 トキヤの横をはらりと一つ、花弁が落ちていった。


(中略)


 衝立の向こうから、衣擦れの音が聞こえる。
 板一枚向こうでは、トキヤが裸になっているのだ。落ち着けと思っても、音也の胸は騒いだ。
 物音がする度に音也はビクついた。
「あの……」
 衝立の向こうから聞こえたトキヤの声に、音也は飛び上がる。
「は……っはい!」
 挙動不審の己に、音也は心の中で盛大に悪態を吐いた。
(これじゃおトキさんがひいちゃうっ!)
 好いた人に嫌われる事態は避けたい。ここで盛ってしまったら、あの男達と同じだ。
(静まれ静まれ!)
 落ち着こうと音也は嫌いな物を思い浮かべた。
(ピーマンの肉詰め、青椒肉絲……)
「ちょっと来ていただけませんか?」
(えぇええ――!!)
 トキヤのお願いに、音也は心の中で仰け反った。これ以上近づいたら、我慢出来る自信など皆目見あたらない。
「えっと……っ!」
「音也」
 いつまでもグズグズしている音也に焦れたのか、トキヤが音也の名前を呼んで立ち上がった。身長が高めのトキヤが立ち上がると、衝立は腰までしかない。
「―――ッ!!」
 その姿に音也は息を飲んだ。
 帯も着物もない。薄い襦袢だけ。その襦袢さえ、はだけてしまって胸元が覗いている。
 衝立の向こうからトキヤが音也ににじり寄ってくる。
「お願いです」
 音也の足下に跪いたトキヤは、音也の腰に縋り付く。
「今宵一晩だけ――一度だけでいいので、お情けをくださいませんか……?」
 好きな娘にそんな事を言われて、音也の中は大混乱だ。
「おトキさん!!」
 そのときの音也は、頭に血が上ってトキヤの言葉を深読みできなかった。本能に促されるまま、トキヤを畳に押し倒す。
「好き――好きっ!大好き!!」
 そう言って白い首筋に惹かれるまま口づけた。
「あ……」
 敏感なのか、トキヤがそれに首を仰け反らす。
 チュウッと吸うと、赤い花びらが散った。
「きれい。かわいい。好き」
 その言葉しか知らないかのように、音也は譫言のように繰り返した。


(中略)


「トキヤです」
 障子の向こうに声を掛けると、宵っ張りのレンは夜通し起きていたのか、応える声がした。
「入りなよ」
 その言葉に、トキヤはそっと部屋の中へ入る。
「朝帰りとは悪い子だね」
 トキヤはそんな言葉に出迎えられる。いつもは軽薄さを感じるくらい軽いレンの言葉が、冷たく凍てついて聞こえて、トキヤは身を固くした。
「申し訳ございませんでした」
 トキヤはただ頭を下げる。音也に貰った簪の房が揺れた。
「おいで」
 レンの否を認めない響きに、トキヤはゆっくりと近づく。
「あっ」
 焦らしてしまったのか。強引なレンに腕を引かれて、トキヤは態勢を崩してしまう。そのまま畳の上に倒れ込んだ。
「や……」
 止めてくれと言いそうになって、トキヤは慌てて口を噤む。レンに逆らうことは許されていない。
 乱暴に帯を解かれて、着物も剥ぎ取られる。残ったのは薄い襦袢と足袋だけだ。
 さらにレンの膝の上に腹ばいにさせられ、襦袢さえ捲り上げられてしまう。
「ひっ!」
 あらぬ所を曝されてしまった。尻のあわいを割り開かれる。先ほどまで音也を銜え込んでいた蕾が、露わにされていた。
「オイタをしてきたみたいだね」
 襞を撫でる感触に、トキヤは気持ち悪くて思わず抗ってしまう。
「やめ……っ!」
 けれど優男に見えて、しっかりと筋肉のついたレンは、その程度でびくともしない。腰を押さえられて、トキヤは逃げられなかった。
 何かが蕾に押し当てられる。
「ヒィッ!」
 恐怖にトキヤは奥歯をガチガチと鳴らしてしまう。逆らうことの出来ない状況に、トキヤは本当に怖かった。
「少し優しくすると付け上がって……。悪い子にはお仕置きだ」
 グイッとそれは中に侵入して来た。太くないそれは、案外簡単に中に収まってしまう。
「やっなにっ!?」
 けれど正体不明のそれに、トキヤはパニックを起こす。
 何を挿入されたのかもわからず、トキヤは不安だった。それでも、その後に知らされた正体なら、知りたくなかった。
「芋茎だよ」
 レンの言葉に、トキヤの目の前は真っ暗になる。
 それを入れられたらどうなるか、トキヤは知識として知っていた。
 慌てて抜こうとするも、レンに腕を縛り上げられて叶わない。
「駄目だろう」
 そのまま仰向けに寝かされて、両脚を蛙のように開かれる。棒を使い脚も肩幅に固定されてしまう。
 レンに芋茎を飲み込んだ蕾がよく見える格好だ。トキヤは絶望に顔を青ざめさせた。
 このままにされてしまうと、初めは何ともなくても、すぐに痛痒さが湧いてくる。慣れた遊女でも堪えられないと言うそれに、トキヤが堪えられるはずがない。
(助けて――音也)
 自分から出てきたくせに、トキヤは縋るように音也の名前を胸の中で呼んでいた。
 水で濡らされた芋茎は、じわりとそのエキスを滲み出す。
 先ほどの音也との情交で敏感になっている内壁は、それに過敏に反応する。じわじわと湧いてくるむず痒さに、トキヤは無意識に腰を動かしていた。
 とてもじゃないけれど、堪えられない。みっともなく腰を振るトキヤに、レンの視線が冷たく刺さる。
 レンはしばらく、身を捩らせ喘ぐトキヤをただ眺めていた。しかし突然興味を失ったように立ち上がる。
 しかしトキヤはそれに気が付かないくらい、思考が痒みに侵されていた。
(痒い――誰かっ……。誰かぁ……っ)
 今のトキヤなら、誰にでも股を開いて犯してくれと頼んでいただろう。それくらい痒かった。しかし幸い部屋には誰も居ない。
「痒い痒い……誰か犯してぇ!」
 トキヤが譫言のように叫んだとき、襖が開いた。
「運べ」
 まるで無機物を見るような目でトキヤを眺めるレンが命じた。
 その命に従った男が、あられもない格好のトキヤを無造作に担架に乗せる。
「ヒッヒッ」
 トキヤはもう、自分がどこかに運ばれているのもわかっていなかった。

(後略)

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