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あの夏の日に

   トキヤが目覚めると、なぜか背後に人の気配を感じた。
 何がと思い後ろを振り返ると、まるで恋人同士のような近さで、音也が眠っていた。
(な……っ何!?)
 トキヤは内心パニックになる。必死に昨夜の記憶を遡るも、うっすらと霞が掛かったようで、判然としない。
 異常に体温が高くなる。
 人より近い距離感を持つ音也の事だ。もしかしたら夜中にトイレに行って、間違えて布団に入ってしまったのかも知れない。――いや、腰に回された腕とか、首筋に寝息が掛かるほど接近している距離感とか、明らかに異常事態だった。
 トキヤの心臓は破裂しそうなほど鼓動を早める。頬に熱が溜まっていく。
 忙しさにかまけて深く考えることをしていなかったが、ここ最近のトキヤは、音也が近づくとなぜか落ち着かなかった。
 パーソナルスペースを侵してくる音也に、何度動揺したか。
(近すぎます――っ!!)
 トキヤは天を仰いだ。
 どうにかこの状況から脱出しようと、そろりと動く。そうして身体を起こそうとした途端感じた、あらぬ所の痛みに、トキヤは固まる。
(何――)
 後孔に異物感と引き攣れる感覚が走った。
(どういうことです……)
 トキヤは、想定外の連続に、泣きわめきたくなる。
 そんなところが痛くなる理由がわからない。けれど、そこの痛みの原因で考えられる可能性が、浮かんでくる。芸能界に長くいれば、そんな話も耳にする。
 誰かに犯されたとしか思えなかった。
(そんな馬鹿な――)
 否定したくても、トキヤが昨晩の記憶を思い出そうとても、思い出せない。それどころか、デジタル時計の日時を確認したところ、トキヤには一週間近くの記憶がなかった。
(誰なんです……)
 カチカチと歯が鳴り出す。
 トキヤは自分の身に起こったことが恐ろしかった。怖くて怖くて縮こまる。
「ぅん……?」
 そうしていると、横で音也の声が聞こえた。
 パタパタとトキヤが寝ていたスペースを叩いている。
「トキヤ?」

(後略)
全13項

***

 夜でも暑さを感じるようになった頃、トキヤはHAYATOとして所属する芸能事務所の本社へ呼び出されていた。
「HAYATO。これはお前が売れるためには仕方ないことなんだ」
 対面に座るマネージャーに言われて、トキヤは膝を強く握り締めた。
 HAYATOのためと言うお為ごかしで騙されているのではないか。
「先方は一晩付き合えば、CDを売り出してくれると言っている」
 その言葉にトキヤはハッとした。
 喉から手が出るほど望む新曲リリースが手に入る。それに心がぐらりと揺れた。けれどそれによって失うものが大きすぎる。
「やはり受けられません。そんな事をして得たチャンスなど何の意味もない」
 首を振ってキッパリと断ったトキヤを、マネージャーは一笑に付した。
「お前は甘いな……。これは決定事項だ。日時が決まったら知らせるから、心の準備をしておくように」
 それだけを言って、マネージャーは立ち上がる。
「ちょ――!」
 トキヤが呼び止めようとしても、聞く耳をもたない。マネージャーは後の予定があると言い置いて、会議室を後にした。


 トキヤはトボトボと寮への道を歩く。自然溢れる早乙女学園の敷地では、夜虫の鳴き声が響き渡る。
 先ほどのとりつく島のないマネージャーの様子に、トキヤは決断を迫られる。芸能生命を絶ってでも事務所に楯突くか、事務所の要求に屈するか。
 アイドルを辞める――。そんな事、トキヤは考えたことがなかった。HAYATOを辞めて一ノ瀬トキヤとして再デビューするという思いも、早乙女学園でデビューの権利を勝ち得ていないトキヤは捨てるしかなくなる。
 幼い頃から馴染んだ芸能界から遠ざかる。そんな事トキヤには考えつかない。
 やはり事務所に屈し、所謂「枕営業」を受け入れるしか道はないのか……。トキヤは痛む胸を抱えて、寮部屋へ戻った。


「お帰り〜〜」
 灯りのついた室内に、明るい声が響き渡る。
「……っ!ただいま戻りました」
 一歳年下の同室者に、トキヤは虚を突かれた表情をした。ここは音也の部屋でもある。いて当然なのに、トキヤは音也と会う心の準備が出来ていなかった。
 あんなことを言われた後に、好きな人の前に何でもない顔で立てるほどトキヤは擦れていない。
 音也から視線を反らしながら、トキヤは寝支度を整えた。


 あれから数日。あの日以降、あの話がマネージャーの口に上ることはない。けれどいつその日を宣告されるのかと、トキヤは日々ビクビクしていた。
 今日も何事もなくマネージャーと別れられた。けれど、トキヤの精神はそろそろ限界だった。
 翌朝の仕事がない日の夜、トキヤは緊張しながら、音也の背後に立った。
「あの――音也」
 自然に発声出来ていただろうか。
「なに?」
 珍しく机で何かに取り組んでいた音也は、椅子をくるりと回して、トキヤを振り返った。
「芝居の参考に聞かせて欲しいのですが、貴方、どなたかとお付き合いをしたことありますか?」
 緊張のせいで、妙に早口になってしまう。
「べ……別に深い意味はないのですが――っその、参考までに」
 唐突だったかと、トキヤが言い訳をしていると、音也があっけらかんと答えてくれた。
「あるよ」
「え――あ……」
 トキヤは過去のことだと思っても、ショックを受けた。
「その、……お付き合いの深さ――といいますか……」
「なに?どこまでやったか知りたいの?」
「あ――いえっ……いえ、――そうです」
 あまりの明け透けさに、トキヤは否定しそうになって、慌てて肯定する。
「最後まで」
「え――」
 信じられなくて、トキヤは思わず音也を見てしまった。
「セックスもしたよ」
「そう……っなんですか……」
 相手はどんな人なのか。グルグルと疑問がトキヤの頭の中を回る。
 トキヤは芸能活動を認めてくれる私立の中学校に行ったので、普通の学生生活というものがよくわからないが、音也の性格を鑑みると女生徒にも人気があっただろうことが推察できる。だから、付き合った人がいてもおかしくないと思っていた。けれどまさかもうセックスまで経験しているなんて、考えても見なかった。
「あとは?何か聞きたいことある?」
 いつも通りの顔をした音也が、トキヤを促す。
「……っ」
 言葉に詰まったトキヤを音也が笑う。
「なに?トキヤもセックスに興味があるの?」
 その言葉にトキヤはカーっと赤くなる。図星だった。音也とした女の子が羨ましくてしょうがない。トキヤは男だというだけで、音也の対象にはなれない。女だったら、もしかしてトキヤにもチャンスがあったかも知れないのに。
 そう思っていたトキヤの考えを否定するように音也が続ける。
「入れられるなんて真っ平だけど、さわりっこくらいなら教えてあげようか」
 随分酷いことをいわれているはずなのに、トキヤにはそれがチャンスに聞こえた。
「私が入れられる方で構いませんので、最後までしませんか」
 トキヤは精一杯の平常心で、音也に告げた。
「へ〜〜……入れさせてくれるんだ。いいよ。やろっか」
 音也が面白そうに笑う。
 トキヤは音也の言葉に、ゴクリと唾を飲み込んだ。


 風呂場で準備をしてくると告げたトキヤに、音也が自分も手伝うと申し出た。見て愉しいものでもない。セックスのために尻の中を洗う姿をみせるなど、トキヤは断りたかった。けれど、断って音也の気が変わるのが怖くて、トキヤは仕方なく手に汗を握りながら頷いた。
「あの、……あちらを向いていただけませんか」
 壁際を指さしたトキヤに、音也が何でと首を傾げた。
「……を、洗うので――」
「え?」
 あえて小声で言った部分を問い返されてしまう。
 トキヤは真っ赤になって俯きながら、繰り返した。
「尻の中を洗うので――」
 羞恥と情けなさで涙が溢れそうだった。
「そっか――よく考えれば、尻の中に突っ込むとか汚いもんね」
 当たり前のことを言われているだけなのに、トキヤは「汚い」と言われて胸が痛んだ。
「貴方はコンドームをすれば、大丈夫ですから」
 その言葉に、音也が「トキヤって頭いい〜」と感心した。
「でも、尻の穴なら中だし出来るよね」
 病気のリスクを考えれば、コンドームをすることが望ましい。けれど今夜のトキヤは、出来れば音也を直接感じたかった。
「貴方が気持ち悪くないのなら、中に出してもいいですっ」
 もうトキヤは必死だった。このチャンスを絶対にものにしたい。身知らずの相手に好き勝手される前に、音也にして欲しかった。
「そっか!じゃあ、俺のために綺麗にしてきてね」
 音也がトキヤの額にキスを落として立ち上がる。洗浄をする姿を見る気はないのだろう。浴室を後にした。
 トキヤは音也にキスされた額に両手を当てる。音也にとっては何気ない動作だったと思うが、それはトキヤにとって喜びで真っ赤になるほど衝撃的な出来事だった。

(後略)
全11項

***

 いつもバラバラの仕事で中々会うことのない仲間と、今日はひさしぶりに一緒の撮影。超楽しみ!
 俺がワクワクとスタジオに向かったら、どうやら何人かのメンバーは、もう到着しているようだ。俺もだいぶ早く来たと思ったのに、みんな早いなぁ〜〜。
「おっはよ〜〜」
 この業界のいつでも「おはよう」と言う挨拶は、初めは戸惑ったけどもう慣れた。時間的にはあとちょっとで九時になりそう。みんなそれぞれ人気が出てきて、全員が揃う時間がこの時間しかなかったんだって。
 事務所の人が、二時間で撮影を終わらせないといけないから大変よ〜て言っていた。何でも条例がどうのとか……難しすぎて、よくわかんなかったけど!
 あ、トキヤだ!うう……すっげ〜ひさしぶりに会う気がする。

(後略)
全3項

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