いつまでも忘れられなくて
* * *
シャイニングエアラインの副機長を勤める一ノ瀬トキヤは、今日のフライトを終えて帰途に着く準備をしていた。
国際線を主に乗務しており、ひさしぶりの日本の空気だ。自宅へ帰るため、空港の従業員用の通路を歩いていると、前方から同期入社の神宮寺レンが来るのに行き当たる。
「イッチー」
片手を上げて立ち止まったレンは、相変わらず華やかな風貌だ。
「お疲れさまです」
「お疲れ。イッチーは今から帰りかい?」
「ええ」
トキヤは勤務中に比べて幾分かリラックスした表情で答える。
「あなたは今から乗務、ですね」
片手にファイルを抱えた姿に、トキヤはレンの状況を察した。
どうやらブリーフィング前のようだ。
「ああ。今からサンフランシスコ行きさ」
「そうですか。気を付けてください」
安全なフライト、それが全ての乗務員の願いだ。
「サンキュ。――そういえば、イッチーはイッキの知り合いだったっけ?」
トキヤは唐突に出てきた名前に面食らう。レンの言うイッキ――一十木音也とは、トキヤの高校時代の後輩で他社の副操縦士だ。
「そうですが、音也がどうかしましたか?」
音也の本拠地はアメリカのため、滅多に会うことはない。
「今度うちに入社するらしい」
「――は」
トキヤは驚きで目を見開いた。
アメリカの航空会社に勤務している音也がなぜ。
「社長に誘われて、二つ返事でオッケーしたってさ」
「馬鹿な……」
トキヤは信じられなくて首を振る。
シャイニングエアラインも決して悪い航空会社ではない。けれど、まだまだお互い機長を目指す身。この時点での転職など、不利になることも多い。
「来月入社って話だから、近々日本に帰ってくるって話だ」
不満そうなトキヤの様子に、年上の同期は宥めるように肩を叩く。
「同じ会社に勤務していれば、会う機会も多いいさ。直接理由を聞くといい」
そう言って、腕時計で時間を確認する。
「ああ。時間だ」
「また」とトキヤに残して、足早にレンが立ち去っていく。
廊下に取り残されたトキヤは、レンからもたらされた情報に、しばらくその場で立ち尽くしていた。
ようやく帰宅したトキヤは、うがい手洗いをしてソファーに座り込む。留守中はハウスクリーニングを頼んでいたおかげで、埃っぽい思いをしなくてすんだ。
トキヤは薄暗い室内で、ぼんやりと夜景を眺めながら、今日レンから聞いたことを思い浮かべる。
一十木音也がシャイニングエアラインに入社する。それは、トキヤにとって一大事だった。
音也とトキヤの出会いは、高校時代に遡る。二人は同じ高校の生徒で、一学年違いだった。トキヤは真面目な優等生。音也は明るい性格から、クラスの中心的存在で。そんな接点のない二人の出会いは、本当に偶然だった。
* * *
「到着!」
屋上で読書をしていたトキヤは、聞き慣れない声に顔を上げる。屋上の入り口を見ると、赤毛の男子生徒が立っていた。
少し着崩した制服に溌剌とした様子。トキヤは自身と相容れない空気を感じ取り、眉を顰める。
教室の喧噪を逃れて、大好きな青空を眺めながら読書に勤しめる。そんな時間が終わってしまう予感がした。
「あれ?先客??」
ここは特別教室の集まる校舎の屋上で、滅多なことでは人が訪れない。だから向こうも驚いたのだろう。
「こんにちは〜〜」
無視をすればよいのに、忌々しいことに男子生徒は声を掛けてきた。トキヤはあえて無視して本に視線を走らせたのに、足音はどんどん近づいてくる。
「何を読んでいるの?」
トキヤの目の前にしゃがみ込んだ人物は、ズイッと遠慮なく顔を近づけてきた。
近い。そう心の中で吐き捨てて、トキヤはひたすら無視を決め込む。
「ねえ?――それ、面白い?」
チラリと見えた学年章は一年生。一学年上の先輩に対して図々しいことこの上ない。
「ねえ」
肌と肌が触れあうのでは。そう思うほど近くに顔を近づけられて、流石のトキヤも無視できなくなる。信じられないくらい馴れ馴れしい男だった。
「鬱陶しいです。離れてください」
心からの希望を素っ気なく告げる。けれど相手はトキヤの予想を遙かに超える、図々しい神経の持ち主だったらしい。
「へ〜〜航空論――」
トキヤが左手で持っていた本の表紙を、強引に持ち上げられてしまう。
「何を――っ」
あまりの図々しさに叱責をしようとしたトキヤだったが、次の言葉にそれを止めてしまった。
「パイロットにでもなりたいの?」
トキヤの頬にサッと赤味が差す。今まで両親にさえ秘密にしていた夢を言い当てられ、羞恥が沸いてくる。
「あなたには関係ないでしょう!」
トキヤは恥ずかしさを隠すため、やや強引に奪われた本を奪い返す。
「いや、だったら一緒だな、と思って」
とことん人の反応を気にしない男のようだった。胡乱な視線を向けたトキヤに、ニコニコ笑っている。
「俺もパイロット志望なんだ」
にっこりと笑った顔は、まるで太陽のように周囲の空気を明るくした。
「君はどんな飛行機を飛ばしたい?俺はね!ジャンボジェット。あんなでっかい飛行機を自分で飛ばせたら、超格好いいと思わない?」
ねえねえ、と人なつっこく訊いてくる様子に、トキヤは仰け反った。
それから弾丸のように男は話し続けた。気力で怒りを押さえつけて、無視を続けているのに、ひたすら話は続く。
男の夢。好きなこと。気になっているアーティスト。信じられないほど話に脈絡がない。
――キーンコーン……
そんな事をしていると、少ない昼休みが終わりを告げる。予鈴の鐘の音に、トキヤは慌てて立ち上がった。
「――あ!」
男が何かに気がついたかのように、大声を上げる。
「名前を教えて!」
最後にそれか。トキヤは心の中で突っ込んでしまった。
「俺はね、一年A組の一十木音也!!音也って呼んでっ」
差し出された右手を、トキヤは睥睨する。
名乗る名などない。と一刀両断にすべきか、名乗った相手に礼儀を重んじて名乗るか。
究極の選択のような気がした。
「――二年S組の一ノ瀬トキヤです」
常識と感情が戦った結果、トキヤは常識を取った。非常識な相手に合わせて、自身を貶めることが許せなかったのだ。
ただ僅かな抵抗に、差し出された手は無視した。
「トキヤ――。またねっ」
音也は口に馴染ませるようにトキヤの名前を呟き、駆け出した。
入り口で立ち止まりブンブンを手を振ったかと思うと、階段を駆け下りている。
トキヤが口を挟む隙もなかった。
「また……?」
トキヤは嫌な予感に、一人取り残された屋上で眉を顰めた。
(中略)
「きつい?」
キュッと目を瞑って耐えるトキヤに、音也が問いかけた。それに緩慢に首を振りながら、トキヤはシーツを握り締める。意識していないと、身体が逃げを打ちそうだ。
「大丈夫……ですっ」
全く大丈夫そうではない声が出てしまった。
それに逡巡した音也が前屈みになる。
「ひゃあ!」
いきなり、先ほど達したばかりのトキヤのものを、もう一度音也が口に含んだ。
尻の穴を拡げられながら前を刺激され、トキヤは混乱する。気持ちよいのか、悪いのか。
「やめ――おとっ……おとやっ!それ、ダメぇ――ッ」
入り口の浅い部分をグルリと指で撫でられて、トキヤはいけない感覚が背筋を這い上ってくるような気がした。
音也の口の中のトキヤのものは、ジワリと先走りを溢す。
「ここ……?」
くぐもった音也の声が聞こえたと思ったら、サワサワと内壁を撫でられる。
「――っひ」
トキヤは思わず両脚で音也の頭を挟み込んでいた。
ヒクヒクと内股が震える。
もう嫌だ。そう言いそうになって、唇を噛み締める。
「もうちょっと頑張って」
一旦音也はトキヤのものから口を離し、トキヤの柔らかい内股へキスをする。
そうして宥めるように太股を摩りながら、音也は指をもう一本増やした。
「――!」
いくら慣らされても、初めての異物挿入はきつい。
身体を反らせて、トキヤは目を見開いた。
「大丈夫」
チュッチュッと音を立てて何度も内股にキスをしながら、腰から太股を摩られる。
「大丈夫だから」
何の根拠もないそれが、その言葉が今のトキヤにとっては縋れる唯一のものだ。
「おとやっ」
両手を伸ばして音也の髪の毛に指を絡める。
何とか三本の指が出し入れ出来るようになるまで、音也は根気強くトキヤを宥めてくれた。
しゃがみ込んでいた音也が起き上がり、トキヤの両脚が持ち上げられる。いよいよだ。トキヤの心臓は破裂しそうなくらい鼓動を早めている。
「トキヤ、大好きだよ」
顔中にキスの雨を降らせながら、音也がトキヤの後孔に滾ったものを押しつけてきた。
グイッと襞を割り開いて音也のものが入ってくる。
「――ッ!!」
どれだけ慣らされても、本物の質量は違う。トキヤは縋るように音也の首に抱きついた。
「トキヤ」
擦れた声で呼ばれて、トキヤは音也を見る。生理的な涙で視界は滲んでいる。
「大好き」
唇にバードキスをされ、さらに腰を押しつけられた。
「―――ッッ」
トキヤは奥歯を噛み締めて耐える。
耐えることに一生懸命になるあまり身体を強張らせたトキヤは、音也に腰を摩られて、自身と音也の状態を自覚した。
トキヤから見た音也は、とても辛そうだ。トキヤの中が狭すぎるのだろう。
力を抜かなければ、と思うも上手くいかない。どうすればいいのか、トキヤはなかばパニックに陥ってしまう。
「深呼吸しよう」
そんなときに音也に促されて、トキヤはコクコクと頷き、はふ――と口を開けて息を吸う。
「ゆっくりゆっくり」
宥めるような音也の声に、細く息を吐き出す。
「もう一回」
は〜〜ふと音を立てながら、吸って吐く。身体の強張りは取れないけれど、トキヤは段々と落ち着いてくる。
「おとや……」
普段の冷静ささえ戻ってくれば、大丈夫。
「動いてよいですよ」
慣れないそれの痛みが、このまま待ってもなくなるわけではない。耐えられないほどの痛みではないので、早々に音也が達する方がお互いのためだ。
そう考えたトキヤを、音也がじっと見詰めてくる。無理をしていないか探る色がある。
「もう大丈夫です」
トキヤは意識して口の端をつり上げ、笑顔を作る。
「――わかった」
悩むそぶりの後、音也が頷いた。
スルリと指をトキヤのものに巻き付けて、腰を動かし始める。
「あ――っ」
先端をくじられて、鈴口を擽るように撫でられて、トキヤは思わず声を上げてしまう。
「おとやっ」
後孔を擦られる感覚と、前に与えられる快感に、トキヤの意識は曖昧になっていくる。
「あっ――あ!」
いつの間にか、口からは嬌声が零れていた。
「トキヤ――っトキヤ!」
胸が苦しくなるほどの声で音也がトキヤの名前を呼ぶ。
「音也――っ」
トキヤもそれに返すように名前を呼んだ。
ポタポタと音也の額から汗が落ちてくる。
「好き――好きだよ、トキヤ」
子供が母親に縋り付くような必死さで、音也はトキヤへの好意を口にする。
「私も、あなたが――好き、ですよ」
トキヤはそんな音也を包み込むように、音也へ囁いた。
「トキヤ――!!」
一層音也の動きが激しくなる。ジンジンと麻痺したように、後孔はもう痛みを伝えてこない。
「トキヤッ!大好き――!!」
一際強く音也に抱き締められて、ドクンとトキヤの中で音也のものが弾けた。
中が音也のもので濡れていく。
トキヤは漠然と、音也が中でイッたのだと思う。
けれどトキヤは初めての後孔を使ったセックスに達することが出来ずに、トキヤのもの勃起したままだ。
音也もそれに気が付いたのだろう。慌ててトキヤのものにもう一度指を絡めてきた。
「トキヤ……っごめんっ」
「あ――っああん……あ、あっ!ああ――ッ」
直接的な刺激に、トキヤのものはビクンと反応する。そのまま性急に追い上げられて、萎えた音也のものを銜え込んだまま、トキヤもすぐに絶頂に達していた。
(中略)
シフトの関係か、トキヤがレンと会うのは本当にひさしぶりだった。
「今日、六時頃に着く便で、イッキが帰って来るみたいだよ」
不必要な情報をもたらしたレンを、トキヤはジロリと睨む。翔のそれは純粋な好意と心配からの行動だとわかるが、レンのそれにはどこか作為を感じてしまう。
「そうですか」
トキヤは努めて興味のなさそうな声を出した。
「後悔だけはしないようにね」
そんなトキヤの様子に嘆息したレンは、トキヤの肩を軽く叩くと、それだけを言い残して立ち去っていく。
トキヤはそんなレンを見送りながら、後悔などいつもしている、と心の中で独りごちた。
定時を少し過ぎた頃、仕事にキリがついたトキヤは、手を止める。フッとみた時計に、そろそろ音也の乗る便が着く頃かと、つい考えてしまう。
その考えを振り切るように立ち上がったトキヤに、その情報はもたらされた。
「大変だ!」
その緊張感漂う声に、場の空気が止まる。部屋中の人間が、声の人物を見る。
「到着予定の便が機体トラブルで空港に着陸出来ないらしいっ」
焦った声は、その人物の焦燥を伝える。誰か知り合いでも乗っているのか。
トキヤも目の前のパソコンで、どの便のことかサッと確認する。そこには、見たくない文字が並んでいた。
「サンフランシスコ―東京便、胴体着陸予定」すでに一般のニュースにもなっていた。
乗客の名前がずらっと並ぶ。そこに、――一十木音也の名前もあった。
トキヤは息を詰める。
嘘だ――。
信じられずにトキヤは何度も文字を見返した。けれどそれは消えてなくならない。
トキヤは居ても立ってもいられず、けれど日頃の訓練の賜物か、冷静な状況判断をしてしまう。トキヤが出来ることなどなにもない。
ただ無事を祈ることしか出来ない。それががもどかしい。
それでも何もできなくても状況だけは知っておきたい。そう思ったトキヤはパソコンを操作した。
機体トラブルで前輪が出てこない。――そんな詳細に、最悪だと天を仰ぐ。無事に着陸出来る可能性はどのくらいなのか。後輪が出ることが不幸中の幸いだが、過去の事例を見ても、着陸を失敗すれば大惨事になる。
戦闘機を敵陣営に緊急着陸させるより、はるかに難しいその事態にトキヤは呆然とする。訓練で何度もシミュレートしたシチュエーションだ。自社のパイロットは優秀だ。その腕を信じるしかない。
乗客乗員、皆無事に生還してくれ。トキヤは祈るように両手を握り締める。
「トキヤ!」
そのときバタバタと駆け寄ってきた翔に、トキヤは腕を掴まれる。
「行くぞ!」
そのまま引っ張られ、小走りに廊下を駆け抜けた。急な出来事に、トキヤは呆然となすがままになってしまった。
「翔……っ」
我に返ったトキヤが翔を見ると、真剣な目をした仲間がいた。
「空港に行くぞ!」
強く言われて、トキヤは首を振る。
乗客の家族や報道陣が詰めかける空港に向かうのを理性が押しとどめたのだ。一人でも野次馬を減らすことが最善だと思う。
「いえ。……混乱する空港に行っても、何も出来ませんから」
「それで後悔しないか!?」
同じパイロットの翔も、この着陸が如何に難しいかわかっている。最悪の事態も覚悟する必要があるのだ。
もし音也が戻って来なかったら……。
トキヤの顔から血の気が引いた。
戦場に行くことも覚悟していた頃には、明日が必ずあるとは限らない。そんなことわかっていたはずなのに。
ぬるま湯のような日常で、トキヤは音也が絶対に帰って来ると無意識に思い込んでいた。人はある日突然いなくなるのに。
少しでも音也の近くに行きたい。トキヤは心の底からそう思った。
「後悔しない選択をしろよっ」
翔の力強い声に背中を押され、トキヤは廊下を駆け出した。
(後略)
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