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3年目の疑問

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 今年一番の寒さだと天気予報で気象予報士が連呼する中、一ノ瀬トキヤは自宅へ急いでいた。去年より確実に増えた仕事は、嬉しいことであっても、疲労も蓄積される。早くベッドで横になって、休みたかった。
「あ、トキヤ――!」
 事務所の寮のエントランスへ入ろうとしたところで、キキーというブレーキ音とともにトキヤにとって聞き慣れた声が聞こえた。
「音也!夜にそんな大声を出したら近所迷惑でしょう」
 すでに夜半過ぎの時間だった。冬の静寂に、一十木音也の声はよく響く。
「あっ……ごめん」
 慌てて両手を口で押さえる様子に、トキヤは溜息を吐いた。
「早く中に入りましょう」
 鉄筋コンクリート作りの寮は、中に入ってしまえば音を漏らさない。ついでに、各個室も厚い壁で区切られているので、他の住人にも迷惑にならない。
 トキヤがエントランスのドアを開けると、音也もあとに続く。
「ねえ、トキヤ」
 二人で並んでエレベーターの上昇を待っていると、音也がトキヤに声を掛けて来た。
 トキヤはチラリと音也を見る。
「何です?」
「あとでそっちに行ってもいい?」
 その問いに、トキヤは逡巡する。現在、事務所のアイドル達と舞台公演中だが、明日はソワレだけだった。
「明日も舞台があるので、少しだけでしたら」
 溜息を吐きながらトキヤは答える。
 それとともに、エレベーターが目的階に着く。トキヤは自転車を置いてくるという音也と一旦別れて、自分の部屋へ入った。


 同じ事務所のアイドル同士という一ノ瀬トキヤと一十木音也の付き合いは、もう三年目になる。早乙女学園という芸能専門学校の同期として出会い、一年間同室で過ごした。その後、シャイニング事務所に所属出来てマスターコースも無事に終わり、今は本格的なアイドル活動を二人個々に行っている。
 その三年の間に、二人の関係は同期、ライバル、友人というカテゴリから、恋人に変わった。
 初めてトキヤが音也に告白された際、トキヤはその思いを断った。二人ともアイドルで、交際が発覚などすればとんだスキャンダルだ。けれど、何度断ろうと諦めない音也に、トキヤは次第に絆されてしまう。いつの間にかトキヤも音也が好きになっていた。
 マスターコースが始まる頃には、二人は恋人同士だった。先輩も一緒だとはいえ、再度始まった同室生活に、音也は積極的で。やたらトキヤにベタベタとくっつき、先輩がロケで不在の夜には、トキヤのベッドへ潜り込んできた。
 そうなれば、トキヤだって年頃の男子だ。そうなるのは自然な流れだった。


 手洗いうがいをすませたトキヤは、暖房と加湿器のスイッチを入れて、浴室に向かう。合い鍵を持つ音也は、トキヤが扉を開けずとも勝手に入ってくるはずだった。
 案の定、トキヤが舞台の疲労を解消するために、ゆっくりと入浴してからリビングに足を踏み入れると、音也がソファーに寝っ転がっている。
「お帰り」
 最近どんどん逞しくなっている音也は、腹筋だけで起き上がると、トキヤににこりと笑う。
 音也の格好はすでにスエットとトレーナーで、寝る準備が終わっているのだろう。
「待たせましたか?」
 入浴で出て行った水分を補うため、トキヤはキッチンへ向かう。コップに常温の水を注ぎ、ゆっくりと嚥下する。
「俺もシャワー浴びたり、仕事したりしてたから大丈夫」
 何だかんだで、トキヤの行動パターンは音也に読まれている。おおよその入浴時間を計算して、部屋を出てきたのだろう。仕事をしていたと言うわりに、音也の手元にはスマートフォンしかなかった。
「湯冷めしないように気を付けてくださいよ」
 先日体調を崩した音也を思い出して、トキヤが苦言を呈する。
「ちゃんと髪の毛も乾かしているし、大丈夫」
 音也の大丈夫ほど信用ならない。そういう目を向けて、トキヤはリビングに戻る。
「あなたの舞台はアクションシーンも多いでしょう。身体を労るのも仕事のうちです。もう寝ますよ」
 暖房器具のリモコンを手にとって、タイマーをセットする。冷えた身体は怪我のもとだ。トキヤは不用意に身体を冷やさないよう、毎朝起きる時間に合わせて部屋が温まるように準備している。
 空調のタイマー予約のセットを手早く終わらせ、トキヤは寝室へ向かう。
「は――い」
 音也は素直にトキヤのあとに付いてくる。
 そのまま一緒のベッドへ潜り込んだ。
 ベッドサイドの引き出しからマスクを取り出すトキヤに、黙って音也も受け取る。ミュージカルで声が出ないなど、失態以外の何ものでもない。そのトキヤの主張に、音也も納得した上での行動だ。喉を乾燥から守るため、マスク着用での睡眠は、ここ最近の二人の日課だった。
 トキヤの背後に、音也がピッタリとくっついてきた。マスクをした音也の口元が、肩口に当たる。
 背後からトキヤの胸元へ音也の手が伸びる。パジャマの中に両手を突っ込まれて、胸を摩られて、トキヤは音也の名前を呼んだ。
「音也」
 音也は何度も手触りを確かめるように、両手を往復させる。気持ち良さそうに撫でられると、トキヤも――音也のためではないけれど――手入れをしていてよかったと思う。
 けれど、あまりにそれが長いと、流石のトキヤも焦れてしまう。明日も舞台があるのだ。多少のスキンシップは目を瞑っても、本格的なものは遠慮したい。そう思って、何度も胸元を往復する音也の両手を、トキヤは握り締めた。
「トキヤ」
 そうすると、音也が不満を滲ませた声で、トキヤの名前を呼ぶ。
「明日に響きます」
 ピシャリとトキヤが音也に言うと、音也が情けない表情になる。
「〜〜ちょっとだけ」
 マスク越しのくぐもった声で懇願されて、トキヤはチラリと背後の音也を見た。
 音也も覗き込むように、トキヤを見ている。ガーネットに見詰められ、トキヤは声を詰まらせる。
 トキヤは音也に上目遣いでじっと見詰められるのに弱かった。
「入れないから」
 甘えた声でそんなことを言われて、トキヤは迷いで揺れる。
「ね、トキヤ?」
 小首を傾げて見詰めてくる音也に、ついに折れてしまう。
「少し、だけ――ですよ」
 挿入はしない、という約束は絶対に守らせるつもりだった。音也を受け入れた翌日に、舞台上で走り回るなど拷問に等しい。
「やった!」

(中略)

 今年の公演も終わり、出演者や裏方のスタッフの挨拶が飛び交う。年明け三日から公演開始だ。短い休息だが、それまでにコンディションを整え、また劇場に万全の状態で戻ってくるのだ。
「よいお年を」
 楽屋を片付けてトキヤも帰り支度を整える。
「イッチー。真っ直ぐに帰るなら送っていくよ」
 レンが入り口から顔を出して、トキヤに声を掛けてくる。
「しかし、皆さんが――」
 レンの車は五人乗りだ。トキヤだけ乗せてもらう訳にはいかない。劇場に残っている全員はさすがに定員オーバーだった。
「ブッキーも車を出してくれるから、おチビちゃんと、聖川とセッシーはそっちに乗ってる」
「そうですか」
 音也は自転車だから、自力で帰るのだろうとあたりをつけ、トキヤも納得する。他の先輩達はそれぞれすでにいない。
「でしたらお願いします」
 鞄を手にトキヤは立ち上がる。
「まかされた」
 二人は並んで楽屋口まで行き、駐車場を目指す。
 車高の低いレンの車に乗り込んだトキヤは、ポケットに入れたままのスマートフォンが邪魔で、それを取り出した。そのまま同期の気安さで、車の小物入れに置く。
「今日は上手くいってよかったよ」
 出演者とスタッフの呼吸が合っていたのか、今日の芝居が今までで一番の出来だった。
「ええ。最後の公演が上手くいくと気持ちがよいものですね」
 レンがスマートフォンを取り出してツイートしている。そのままレンも小物入れにスマートフォンを置いて、車のエンジンを掛けた。
「三日も休めるなんて、今後あるとも限らないし、ゆっくり休んで次の公演もこの調子でいきたいね」
「ええ」
 もう一度レンはスマートフォンを持ち上げてツイートした瞬間、「あ……」と声を上げた。
「?」
 どうしたのかとトキヤがレンを見ると、カバーの色が夜目に判断しづらかったが、手に握られているのはトキヤの端末だった。
「え――」
 トキヤが慌ててレンからスマートフォンを奪って確認すると、トキヤのアカウントでレン宛にレンのツイートがされていた。
「悪い――」
 レンの声を聞きながら、トキヤは慌ててそれを削除する。
「いえ、――こんな所に置いた私が悪いんです」
 レンの車は飽くまでレンの物で。気軽にスマートフォンを出しっぱなしにしてしまった、トキヤの落ち度だった。
 流れてしまったものは仕方ない。今さら取り戻せない。誰も気がつかなければいいと思う側から、ツイートがリツイートされていく。
 車内に沈黙が落ちる。けれど、今さらどうしようもない。そう思ったトキヤがレンを促す。
「こんなところで時間を無駄にしても無意味です。帰りましょう」
「そう、だね」
 促されて、レンがアクセルを踏む。
 車内が無言のまま車は走る。トキヤはツイッターの画面に視線を落として、ギュッとスマートフォンを握り締めた。
 その様子を横目に、レンも物憂げな表情をした。けれどそれを押し込めようとするレンは、やはりトキヤの年長者なのだ。自身も落ち込んでしまっては、ますますトキヤを落ち込ませるという、気遣いが感じられた。
 赤信号で車が停車する。この信号機は、停車時間が長い。スマートフォンを取り出したレンが、端末を操作してから、左へウインカーを出した。
「レン?」
 寮へ向かうなら直進だ。どうしたのかと、トキヤは顔を上げる。
「少し気分転換にドライブでもしようか」
 手元のスマートフォンがアラームを告げる。視線を落とすと、ツイッターのタイムラインにレンのフォローがツイートされていた。
「間違えたのはオレ。だからイッチーが落ち込む必要はない」
 レンの言葉が、トキヤには気安めに聞こえる。
「私がきちんと鞄にしまえば、こんなことになりませんでした」
 真面目に考えすぎているトキヤに、レンが苦笑する。
「お互いに同じ機種を使っているのはファンも知っているし、単に間違えたくらいにしか思わないさ」
 信号が変わった。ブレーキから足を離し、レンがアクセルを踏む。
 先ほどの「ドライブ」という言葉通り、レンはどこかへ車を走らせる。この方角であれば、劇場と寮を繋ぐ道から少し外れた、寮近くの夜景が見える丘だとトキヤは察した。
「そんなに落ち込んでいたら、イッキも心配するよ」
「え――」
 唐突な音也の名前の登場と、レンの言葉に含みを感じて、トキヤは顔を上げた。
「付き合っているんだろう?」
 トキヤの時間が止まる。
「――」
 絶句するトキヤに、レンが苦笑した。
「あれだけあからさまに引っ付いていて、毎朝イッキがイッチーの部屋から出てくるんだ。気がついて当然だろう」
「あ、……そのっ」
 慌てるトキヤにレンが落ち着くように促す。
「オレは恋愛を区別するつもりはない。だからイッチー達のことも応援するよ。何か困ったことがあれば、お兄さんに相談しなさい」
「すみません。皆さんには絶対にご迷惑を掛けませんので」
 真面目なトキヤの応えに、レンが目元を緩める。トキヤの真面目さは長所であり短所で。レンがトキヤを放っておけないと思う所以なのだろう。
「オレも散々皆に迷惑を掛けたし、少しくらい頼って欲しいね」
「善処します」
 トキヤの性格を理解しているレンは、それ以上は突っ込んでこなかった。レンが知っていることをトキヤが知っていればいい。そういうことなのだろう。
 キンッと冷えた空気の中、夜空に星が瞬いている。都会の夜空なので、そう多くの煌めきは確認できないけれど、いつもより星が多い気がする。
 辿り着いた丘の上で、レンがエンジンを停止した。
 暗い車内で、スマートフォンの画面が光る。
 しばらく、二人は夜空を眺めた。
「戻りましょう」
 車内は暖房が効いているとはいえ、外は寒い。薄着で風邪をひいてはいけない。夜空を眺めて、気持ちが落ち着いたトキヤは、レンを促した。
「もう復活したかい?」
「ええ――それどころではなかったので」
 レンはトキヤに睨まれ、肩を竦める。
「知っていて黙っているなんて、人が悪いですよ」
 八つ当たりだとわかっていても、トキヤはレンに言う。
 トキヤなりの甘えだった。
 レンがエンジンを掛け、サイドブレーキを下げる。徐々に車は加速を始めた。
「明日はそばパーティーだっけ」
「ええ。朝から取りかかるようですから、寝過ごさないでくださいよ」
 宵っ張りで朝が弱い自覚のあるレンは、苦笑する。
「頑張るよ」
 十分ほどで寮に着く。車を降りた二人は、エレベーターで自室へ向かった。
「おやすみ。イッチー」
「おやすみなさい。レン」
 トキヤが部屋に入ると、案の定音也がいた。けれど時間が遅いせいか、すでに就寝している。起こさないように気を付けながらトキヤも就寝の準備を始めた。

(中略)

 音也の問いにトキヤは首を振る。異物感はあったが、痛みはなかった。
「よかった」
 安心したように笑顔になる音也に、トキヤは「馬鹿」と内心悪態を吐いた。
 初めて身体を重ねたときから、音也はトキヤの身体を必要以上に気遣ってくれる。挿入されて快感を感じたことがないといっても、それで怪我をした、ということもない。
 痛みを訴えれば、どんなに辛くても動くのを我慢して、トキヤの身体が慣れるまで待ってくれていたし、少しでも痛みを和らげるため、愛撫してくれた。
 だからこそ、トキヤも挿入を我慢して受け入れて、音也が欲望を満たせば悦びを感じていたのだ。
「もし、気持ちいいところがあったら、ちゃんと教えてね」
 音也が擽るように入り口に近い内壁をゆっくりと撫でていく。
 それがむず痒くて、トキヤは「ぅんっ」と声を上げた。
「いい?」
 じっと顔を見詰められて、そんな風に訊かれて、答えたくないけれど、音也のために、トキヤは羞恥で顔を真っ赤にして、少しだけ首を縦に振る。
「そっか!」
 トキヤに痛みを与えないように、恐る恐る内壁を触っていた音也は、トキヤの返事に気をよくしたようだ。
 トキヤがいいと言ったところを、さらに責めるためか。もう一本指が追加された。
「あ――んっ」
 音也が二本の指で、軽く内壁を擦ると、トキヤは鼻に掛かった声を上げた。入り口を擽られるようにされると、ムズムズとしてしまう。
 太股に当たる音也の腰に、どうしてよいか分からずに、トキヤはギュッとシーツを握った。
 それなのに、音也は空いている片手で、トキヤの脚を抱えて、尻を上に向ける。
 そのまま前屈みになって、股間へ顔を埋める。
「やぁっ!――なにっ?」
 感じたことのない後孔への感触に、混乱したトキヤは目を見開く。一生懸命状況を確認しようと後孔を見ると、そこを音也が舐めていた。内壁が感じたニュルリとした感触は、音也の舌だったのだ。
 入り口付近を音也の舌が、ザリザリと舐めている。
「だめですっ!」
 あまりのことに、トキヤは悲鳴を上げる。
「そんなところ――きたなっ」
 嫌だ、駄目だと言いながら、ざらついた舌の感触に、トキヤの腰は痺れる。
「大丈夫」
 身を捩らせ逃げを打つトキヤを、逃がさないと音也が見る。爛々と光る音也の瞳は、血走っていた。
 後孔で感じて身悶えるトキヤに、興奮しているのだ。
 音也はトキヤの静止を聞かず、舌で届く範囲をザリザリと舐め上げる。そうすると、トキヤの内壁はキュウッと窄まって音也の舌を締め付けてしまう。
「ひぃっ――おとやっ――ひゃっ!」
 今まで知らなかった感覚に、トキヤは生理的な涙を流して、腰を揺らす。けれどそれは、音也にはもっとと尻を振って強請っているようにしか映らない。
「ひゃあ――ッ!んん……っんあっ」
 どんなに我慢しても漏れ出てしまう嬌声に、トキヤは両手で口を塞ぐ。それでも、堪えきれずに声が飛び出していく。
「トキヤ――っ」
 音也の声が興奮に擦れている。
 水音を響かせながら、尻の中を舐められて、あまりの背徳感にトキヤはジワリと鈴口から先走りを溢した。
 ゆらゆらと揺れ動く白い尻が、時折音也の頬や鼻に当たる。自身の腹に水たまりを作りながら、トキヤは音也の責めをただただ受け止める。
 けれど途中で音也の動きに不自然さが混じる。
 腰の辺りが不自然に動く音也に、不審に思ったトキヤは、様子を観察する。そうして、音也が何をしているのか理解したトキヤは、声を上げた。
「音也!待ってっ!待ってください」
 音也は、トキヤの尻の穴を舐めながら、自慰をしていた。折角二人でセックスしているのに、自慰をしている音也に、トキヤは慌てて起き上がる。
「トキヤ?」
 折角のいいところを邪魔された音也は、不満を露わにしている。けれど、不満なのはトキヤも同じだ。
「ひ……一人で勝手にイかないでくださいっ!!」
 シーツの上にベッタリと尻をつけて座ったトキヤのものは、頭を擡げて先走りを溢していた。折角二人でいるのに、勝手に一人でイかれたら寂しい。
「入れたらトキヤが痛いでしょ」
 そんなトキヤの心情を汲み取らない音也は、トキヤのためだとケロリと言う。
 今日の音也は、トキヤに後孔で気持ちよくなって貰いたい。そう思っているのは、トキヤだって知っている。多分、今のまま入れられても、トキヤは気持ちよくないだろう。それでも、一緒に気持ちよくなりたい。その為の方法を考えトキヤは逡巡する。一つだけ、方法を思いつく。けれどぞれをトキヤは、実は一度もしたことがない。耳目でしか知らないそれを、行うか。
 トキヤと音也の希望を満たすには、それしかない。トキヤはそう結論づけて口を開く。
「くち、で――」
 普段のトキヤからは考えられないほど小さな声だった。
「?」
 おかげで聞き取れなかったのか、音也が首を傾げる。
「口でして差し上げます」

(後略)


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