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夢の先には何があったのかな?

* * *


 一ノ瀬トキヤは次の仕事へ向かうため、事務所の用意した車に乗り込んだ。
 デビューして十八年が経ち、そろそろ安定期に入ったST☆RISHの人気に、トキヤは最近やっとゆっくりと考える時間を持てるようになっていた。
 十八年間の間には色んなことがあった。デビュー当時は六人だったメンバーも顔ぶれが変わってしまっている。
 一つ一つ小さな出来事を覚えておけないくらい、目の回るほどの忙しさで。大切な何かをどこかへ落としてしまったのではないかと、時間が出来るとふっと焦燥感がトキヤを襲ってくる。
 今、途中加入したセシルは王位を継ぐための準備に入り、緩やかに活動を制限している。聖川財閥の跡取りの真斗も、実質の経営権を引き継ぐのはまだ先のこととはいえ、グループ企業の取締役に名を連ね、経営を学び始めた。那月はアイドル活動というより、その非凡な演奏技術によって、クラッシック界との二足のわらじだ。レンはモデルとして世界中を飛び回っている。翔は憧れのアクション俳優の道へ邁進している。それぞれがそれぞれの道を行き、グループが集まるのは冠番組を撮り溜めする2ヶ月に一回だけ。あとは、年一回のコンサートが辛うじて、メンバーを繋いでいる。
(音也は――)
 トキヤは人生で初めてのライバルのことを思い出す。
(音也は今頃どうしているのでしょう……)
 その笑顔は太陽のようだと評され、ST☆RISHの誰よりもファンのアイドルだった。
 いつも笑っていたから、トキヤは気付かなかったのだ。音也が何を思って、何を考えているかなんて。
 ST☆RISHの十周年のとき、音也はグループを卒業することを決めた。
――俺、アイドル辞める。
 そう聞いたとき、トキヤは反対した。なぜ。ファンはどうするのか。辞めて何をするのか。そんな言葉を重ねて引き留めた。
 けれど、決心して口に出す段階まで行った音也を、翻意させることなど不可能だった。
 メンバーだって反対した。少しずつ、少しずつグループの活動が少なく、個人の活動が増えていた時期だったけれど、まだみんなで集まることの方が多かった。
 だから音也が見据えた先に、トキヤは気付けなかった。
――もう決めたから。
 トキヤがいまだに忘れられない、音也の卒業ライブともなった十周年のアニバーサリーライブ。デビュー前に二人で取り組んだ曲も歌った。辞めないで。そう叫ぶファンの悲鳴に、音也はゴメンと笑う。でも決めたから。そう言って、ライブ後の音也はトキヤ達に背を向けて遠ざかっていった。
 脱退を認める代わりに、とこれだけは約束させた所在の連絡が、今なお辛うじて届く。これがなければ、今頃音也は所在不明になっていただろう。外国へ旅行に行ってくると旅だった音也は、様々な場所をバックパック一つで巡っているようだ。絵はがきに載って届く音也の笑顔は、あの日トキヤが忘れてしまっていた、音也本来のキラキラと輝く笑顔で。それを見たとき、トキヤは音也の手を離したのは正解だったと、感情は認めたくないと叫んでも、理性が判断してしまった。
 それ以来、トキヤの隣は空席のままだ。唯一と認めたライバルで相棒。まるで半身をもぎ取られたような喪失感が、最近になってトキヤを襲う。
 そんなトキヤを心配したレンが、「イッチー、誰か恋人を作りなよ」と言うようになった。アイドルだから恋愛は禁止ですと返したけれど、ファンもまったくトキヤに恋人がいないなんて、思ってもみないはずだ。音也がいなくなってから、トキヤは誰かと恋愛をしたいと思うほど、気持ちが高揚することがない。
「もう丸八年……」
 早乙女学園に入学して出会ってから、こんなに音也の声を聞かない時間なんて、あの八年前まであり得なかった。
 トキヤはスケジュール帳を確認しながら溜息を吐く。
「全く顔を見せないなんて、薄情すぎます……」
(中略)


 いつものペースで入浴を終えたトキヤは、寝室へ向かう。リビングの一角に用意した音也のスペースはもぬけの空で、はたとトキヤは足を止めた。
「音也?」
 声を掛けても返事がない。どこかの部屋に入り込んでいるのかと寝室と書斎を覗いてもいない。どこに?とトキヤは部屋中に視線を走らせて、ようやくベランダに続く窓が開いていることに気づいた。
――ガラリ。
 トキヤはカーテンを捲って、窓を開ける。
「音也?」
 予想通りそこには音也が座り込んでいた。
「あなた……」
 けれど、音也の様子が予想外で、トキヤは声を詰まらせる。十年前の音也を知っているトキヤからすれば、あり得ない姿で。
「トキヤ」
 ばれちゃった。そんな声が聞こえてきそうな表情を、音也がする。
 音也は肌寒い夜空の下で、たばこを吸っていた。
「それ」
 トキヤのそれが何を指すかなんて、明白だった。
「向こうに行ってから、偶に吸うようになったんだ」
 煙が立ち上るそれは、蛍のように光っている。
「たばこなんて、喉によくありません」
 トキヤも喫煙をするボーカリストを否定するつもりはない。しかし、自身に楽器と同等の価値を見いだしているトキヤにとって、喉を痛めるそれはやってはいけないことだ。
 トキヤは我が儘だと言われても、他のボーカリストがどうだろうと、音也の甘めな声を曇らせる可能性がある喫煙など、音也にも止めて欲しいと思う。それなのに。
「週に一本、吸うか吸わないかだから見逃して?」
 下から見上げながら小首を傾げて拝むポーズをする音也は、昔からトキヤがノーと言えず敗北してきた音也だった。
 三十を過ぎても違和感なくこんなことが出来る人物は本当に希有だ。
 今回も、トキヤは息を詰まらせたあと、「仕方ないですね」と溜息とともに吐き出してしまう。
「マンションのベランダでたばこを吸う行為は、他の方の迷惑になります。吸うなら空気洗浄機を持って換気扇の下で吸いなさい」
 音也の隣に腰を下ろしながらトキヤが言うと、音也が携帯灰皿でさり気なくたばこの火を消した。煙がトキヤの方へ流れないよう、風向きまで考えた行動だ。
 あの音也が、こんなさり気ない気遣いが出来るなんて、とトキヤは驚いてしまう。変わっていないようで、やっぱり八年の時間は流れている。
 トキヤが知らない音也だった。
「ねえ……トキヤは歌ってて楽しい?」
 夜空を見上げながらの唐突な呟きに、トキヤは驚いて音也をマジマジと見てしまう。
 トキヤ以上に歌うことを楽しんでいる音也の口から出てくるとは思えない言葉だった。
「ええ。昔ほど情熱的に歌えはしませんが、歌うのを我慢出来ない程度には、歌うことが楽しいですよ」
「ふ〜〜ん……」
 訊かれたから答えたのに、どこか上の空の音也の返事に、トキヤは文句を紡ごうとした。けれど。音也の表情を見て、トキヤはそれ以上口を開けなかった。
 ついぞトキヤが見たことがないうつろな視線で、音也は空を見ていた。いや、きっとその視線の先に、空はない。
 どこか現実ではないところを見詰める音也は、トキヤの知らないところに突然消えてしまいそうで。トキヤは怖くなってしまった。
「音也」
 トキヤは音也の腕を掴んで、しっかりと握り締める。
「なに?」
 トキヤを振り返った音也は、いつもの音也だった。今さっきの音也は幻だったのかと思うくらいで。けれど、この音也ときちんと向き合わなければ、トキヤはまた音也の存在を見失う。そんな予感がした。
「なるべく時間を作るので、私とセッションしましょう?」
 音也となら、トキヤがまだ知らない音楽をきっと紡げる。そんな確信がある。
「いいよ」
 その日はこれ以上遅くなると明日の仕事に差し障りになるということで、二人はそのまま就寝した。


 翌日、トキヤはマネージャーに予定を詰められるだけ詰めて、時間を作ってくれるようにお願いした。普段我が儘を言わないトキヤのお願いなら、と快く引き受けてもらえて、トキヤはホッと息を吐く。
 ドラマ撮影の待ち時間でさえ取材を受けて、なるべく多くの仕事をこなす。
 取材に来ている雑誌社の記者に謝罪とお礼を伝える。
「無理を言って日程を調整していただきありがとうございました」
「いえ!一ノ瀬さんのお願いなら、無理でもなんとかします!!」
 どうやら記者はトキヤのファンらしい。
「あの、一番最初に訊いていいですか?」
 前のめりの質問に、トキヤは思わず身を引いてしまい、苦笑する。
「何ですか?どうぞ」
「一十木音也さんが戻って来ているって本当ですか!?」
 来ても仕方ないと思っていた質問で、トキヤは穏やかに頷いた。
「ええ……昨日急に戻って来たのですが、しばらく日本に滞在するそうです」
「じゃあ、昨日の渋谷のオーロラビジョンの噂って、本当だったんだ!」
 決してトキヤに聞かせるつもりの言葉ではないのだろう。独り言めいて、記者が口にした。
「丁度ST☆RISHの番組を収録していたので、音也を引っ張り込んだんです。そしたら、それをスタッフが流したみたいですね」
 トキヤ達の与り知らぬところでされてしまったといっても、音也と歌う姿を公共の電波に載せようとしたのはトキヤも同じ。それが早いか遅いかの違いだ。文句を言える立場ではない。
「同じ映像を、今度番組で流すそうなので、もしよかったら観ていただければと思います」
「はい!」
 全力で頷く姿に、後ろのカメラマンが苦笑している。
「でも、一十木さんの復帰予定とか色んな噂が出ていますけど、実際どうなんですか?」
 カメラマンが雑談めいて問いかける。
「私達の気持ちはファンと一緒ですが、音也がどう考えているかは……」
 首を振るトキヤに、二人も黙り込む。
「今度のコンサートで音也が考え直してくれたら、と私も思っています」
「一十木さん、観に来られるんですか?」
「ええ。誘ったら、来ていただける、と」
「それは気合いが入りますね」
「音也にもファンにも失望されないよう、最高のパフォーマンスをお見せします」
 その後はトキヤの活動予定の話や、雑談交じりの最近の話題で会話が進んでいく。あっと言う間に、予定の時間だった。
「最後に、一ノ瀬さんにとってST☆RISHってどんな存在ですか?」
「……」
 予定外の質問に、トキヤは面食らう。こういう質問は、最近では珍しい。
 トキヤは慎重に慎重に、答えた。
「家族、みたいなものです」
 普段はバラバラでも、どこかで繋がっている。その糸がとても細くても、切れることはない。
 八年前だったら、ライバル兼仲間と答えていた。けれど、あれから八年。今のトキヤの答えはこれだった。
「ありがとうございました」


 全ての仕事が終わる頃には、深夜を回っていた。トキヤは足早に帰宅の途につく。
 普段は気にもならない部屋までの距離が、煩わしい。若干早足になりながら、トキヤはマンションのエントランスを突っ切った。
 エレベーターが目的階について、自分の部屋へ急ぐ。
 ドアを前に、トキヤは意識して深呼吸をした。
 いつもなら鍵を使って開けるのだが、今日はインターフォンへ指を伸ばす。音也から起きて待っているとの連絡が、先ほど入っていた。
 伸ばした指先が僅かに震えており、トキヤは苦く笑う。メールが来ているのだから、部屋の中にいるのは間違いないのに、もしいなかったら。そう思うと、緊張してしまう。
――ピンポーン……
 甲高い機械音が響いて、しばらく待つと玄関が騒がしくなる。
「ちょっと待って!」
 鍛えられた身体から、よく通る声が発せられた。
「お帰り!」
 ガチャッと開いた扉から、音也が顔を覗かせる。
「ただいま帰りました」
 トキヤは音也の顔を見てホッとして、帰ってきたのだと実感する。
「遅くなってすみません」
 今日は偶々音也が起きて待っていたからいいようなもの。もしこれが就寝後の帰宅だと、リビングで寝泊まりしている音也にとって、いい迷惑になってしまう。
 少し考えなければ。トキヤはそう思った。
「ご飯は……食べないよね」
 トキヤの食生活をちゃんと覚えてくれていたらしい音也が、言葉を発しながら自分で結果まで導く。
「ええ。それに現場で胃に入れはしました」
 栄養補助食品でも、何も食べないよりはマシだ。
「そっか」
 リビングに入ると、独特の匂いが漂っていて、音也がなぜそういう風に言ったのか、トキヤは気づく。
「カレーを作ったのですか?」
「うん。スーパーに行ったら、カレーのルーが特売でさ。そうしたらどうしても食べたくて」
 外国暮らしが長いと、日本のカレールーはなかなか入手しづらいだろう。毎日飽きもせず食べていた音也だ。それは食べたくなるだろうとトキヤも納得する。
「いっぱい作ったから、トキヤも食べてよ」
 キッチンに入りトキヤが鍋の蓋を開けると、五、六人前はありそうなほど残っている。
「明日の朝、いただきましょう」
 米の準備をしながら、トキヤが応える。
「残ったご飯は、とりあえずタッパーに詰めて冷凍庫に入れてる」
「ありがとうございます」
 きれいに洗われた炊飯ジャーを見て、トキヤは礼を言う。
「明日は何時出?」
 質問にトキヤはスケジュールを思い浮かべる。
「十時くらいに出掛ければ大丈夫です」
 仕事を詰めたお陰で、少し時間が出来た。
「よかったら、一緒に朝食を摂りましょう」
「うんっ」
 喜色を浮かべる音也に、トキヤも嬉しくなる。
 最後に音也と家で食事を囲んだのは、いつだっただろうか。もう思い出せないくらい遠い昔だった。
「俺、一人の食事って苦手なんだ……」
 ポツリと呟かれた言葉が、トキヤの胸に刺さった。ST☆RISHが成功していけばいくほど、それぞれがバラバラになっていった。個別の仕事が増えて、一緒にいる時間は徐々に減る。人気になって、後輩に寮を譲る意味でも、それぞれがマンションを借りて。毎日誰もいない部屋に帰る日々が、音也を消耗させてしまったのだろう。
 あのときルームシェアとまではいかずとも、近くに居を構えていれば、十一周年も、十二周年も音也のいるST☆RISHだったかも知れない。
 今さら詮無いことでも、後悔ばかりが先に立つ。
「可能な限り、一緒に食事をしましょう。もし私が無理でも、メンバーならこの家に呼んで構いませんよ」
「ありがとう」
 気のない返事が返ってきて、トキヤは音也との距離をまざまざと見せつけられた。
 あんなに一緒にいたのに、それほどに二人の距離は開いてしまったのだろうか。
「トキヤが出掛けるなら、俺も出掛けようかな……」
 殊更明るい声を出す音也に、トキヤも気持ちを切り替える。
「どこか行きたい場所があるんですか?」
「――母さんの墓参り。ずっと行ってないから」
 夏のよく晴れた日。トキヤはかつて一度だけ案内された場所を思い出す。周りに咲いたひまわりの花が印象的だった。
「あなたに会えたら、きっとお母様も喜びます」
 陳腐な言葉しか言えない自分に、トキヤは歯痒くなる。もっと気の利いた言葉を言えればいいのに。
「ひまわりにはまだ早いよね……」
 眼を細めて景色を想像する音也は、とても懐かしそうだった。
「お墓に行くなら、軍手と鎌とゴミ袋を持っていきなさい」
 音也は天涯孤独の身。その親族の叔母もまた、もう縁のある人はほとんどいないだろう。音也が行かない日々に、墓周辺も荒れている可能性がある。そう思ったトキヤは、音也にアドバイスする。
「そっか……そうだよね」
 幼い頃から一人で墓の世話をしてきた音也も、状況が想像出来たのだろう。
「いくら頼んでいても、最低限の管理しかしてくれてないよね。――俺って親不孝な息子だなぁ……」
 最後はトキヤに聞かせるつもりのない独り言だった。
 トキヤは音也に何も言えない。
 離婚しているとはいえ二親とも健在で、自身のルーツもわかるトキヤと、両親の顔を知らず、近しい親族さえいない音也。かけ離れた境遇で、トキヤにとって音也の心情を想像することもおこがましい。
(あなたの家族になりたい――なんて、今さら……ですね)
(中略)


 トキヤ達がアンコールも終えて楽屋へ戻るも、そこには音也の姿はなかった。
 先に戻るよという伝言だけが残されていた。
「え……」
 翔が心配そうな表情をする。
「音也くん、またどこかに行っちゃいませんか……?」
 那月も困惑気味だ。
「大丈夫です!」
 それになぜかセシルが胸を張って応える。
「オトヤのパスポートはここにあります」
 セシルの鞄から取り出されて見せつけられたそれは、間違えようもなく音也の新しいパスポートだった。
「昨日音也がパスポートセンターに取りに行くというので付いていきました。そのときにちょっと拝借しました」
 それは犯罪だと幾人かが額を押さえる。
「ミューズからの掲示です」
 両手を握り合わせてミューズに祈るセシルに、トキヤは何も言えなかった。
「セッシー……それはイッチーから返してもらおうか」
 レンに音也のパスポートを手渡され、トキヤはそれをギュッと握り締めた。


 一旦自宅に戻ったトキヤは、玄関に音也の靴を見つけてホッと息を吐く。
 音也はまだここに留まっていたのだ。
「音也?」
 暗い室内に手探りで電気をつけてトキヤがリビングへ進むと、隅に敷かれた布団がこんもりとしていた。
「音也……?寝ているのですか?」
 小さなライトだけの室内は薄暗い。けれど、寝ているかも知れない音也を気遣って、トキヤはそのまま進む。
 布団の横に膝を着いて、トキヤは音也を覗き込んだ。
「音也――」
 軽く肩を揺すると反応があった。どうやら眠ってしまったわけではないようだ。
 けれど、黙りで返事もしない。音也らしくない反応に、トキヤは困惑してしまう。
「今日のコンサートはどうでしたか?」
 何とか音也に反応して欲しくて、トキヤは言葉を継ぐ。
「皆、あなたを待っているんです」
 その言葉に、音也がギュッと縮こまる。
「もう一度私達と一緒に歌ってください」
「うるさいっ!」
 悲鳴のような音也の声が響いた。
 トキヤがいまだかつて聴いたことのない種類の声だった。
「みんなはいいよ!どうしたって、ちゃんと帰る場所がある」
 布団越しの音也の言葉に、トキヤは一言も聴き漏らさないように耳を傾ける。
「ST☆RISHから飛び出して、飛んでいって」
 多分、この音也の声は、トキヤ達が――トキヤが八年前に聴かなければいけなかった声だ。
「偶に思い出したように帰ってきて……」
(音也――)
 トキヤは心の中で音也の名前を呟く。
「俺は結局ひとりぼっちだ」
 噛み締められた泣き声が、トキヤの耳に届く。
 トキヤが見逃してきた音也の声。
 それぞれが飛び立って、偶に羽休めで戻ってくる。そんな関係になりかけていた頃、音也は一人周りの変化に付いていけなかったのだ。それまでグループ活動が多く、誰かしらメンバーと行動することが多かった。目まぐるしく過ぎていく仕事も考える時間を与えてくれなかった。
 それが段々と安定期に入り、個々の仕事が増えて、仕事への慣れもあって時間が出来て。振り返ったら、メンバーはバラバラ。歌をうたいたい。歌ってみんなを笑顔にしたい。それだけで芸能界に入った音也は、司会業も役者の仕事も一生懸命していても、それらが新たな道にはなり得なくて。
 置いて行かれる。そんな気持ちになってしまったのだろう。
 そうではない。誰も音也を置いて行っていない。そうわかってもらうには、どうすればいいのか。トキヤは逡巡する。
「私はあなたを置いていったりしません」
 口を開いて出てくる言葉は、どうしたって陳腐になる。両親が揃っているトキヤに、残された音也の気持ちなど、本当のところ理解出来ない。
「私は、――あなたとずっと一緒にいたい」
 八年前の音也の脱退に、トキヤこそが置いて行かれた気持ちになった。トキヤは自分の隣には音也がずっといるのだと、そのときまで信じ込んでいたのだ。
「あなただけが、私のライバルなんです」
 音也が両手で耳を塞ぐ。聴きたくない。そんな意思表示だった。
「確かに、私ではあなたに何も証を示してあげられない」
 家族みたいなものといっても、男同士では自他共に認める家族にはなれない。
「歌以外に何も残せない」
 音也が切望しているだろう血のつながりは、どうしたって不可能だ。
「でも……歌だけは残せるじゃないですか――」
 トキヤと音也がこの世にいたという唯一の証。
「私とまた一緒に歌ってください」
 沈黙が部屋を支配する。トキヤが音也に被さるように縋り付き、室内のものは時間が止まっているかのようだった。
「そんなのっ!」
 突然起き上がった音也が、トキヤを布団に引っ張り込んだ。
「わっ!」
 驚いたトキヤは音也が寝ていた布団に、仰向けに寝転がる。
「口じゃいくらでも言える!」
 馬乗りになってトキヤを見下ろす音也の目は、充血している。
「ずうっとなんて、そんなのあるわけない。トキヤだって――トキヤだって、そのうち恋人を作って、新しい家族を作って、俺なんか忘れるくせに!!」
 トキヤはそんなことない。音也を忘れたりしない。そう叫ぼうとした。けれど、それは出来なかった。
「――っ」
 突然の感触に、トキヤは目を見開く。唇に音也の唇が重なっていた。
「ずっと俺だけなら、証拠を見せてよ」
 擦れた音也の声がそう囁いて、トキヤは視線を彷徨わせる。
「証拠……?」
 音也が何を求めているのか、薄々わかっても確信が持てなかった。
「トキヤが俺のものになって。ここに俺のもの突っ込まれるんだ。それで俺以外誰も見ないで」
 「ここ」と言うときに、尻をギュッと握られて、トキヤの身体がビクンと強張る。
「そしたら、他の人のところになんか行かないでしょ」
 泣きそうな今にも頽れそうな音也に、トキヤはギュッと両手を握り締める。トキヤの中の音也への気持ちは、恋ではない。それでも、大切な音也のためならそのくらい。
 トキヤはそう考えた。
「わかりました」
 トキヤは音也を宥めるように、その逞しい背中を撫でる。
「あなたがそれで少しでも安心するなら、セックス、しましょう」
 肌を重ねることで、柔らかさの欠片もないトキヤの肌で、音也の凍えきった心が少しでも温まるなら。
 トキヤは音也の背中に回した右手を、赤毛に包まれた後頭部へ回す。そうして、自分に引き寄せるように力を入れて、音也と唇を重ねた。
 今度は子供騙しの唇を合わせるだけじゃない、ディープなキスだ。
 トキヤが薄く唇を開くと、音也の舌が中へ潜り込んできた。
 男同士。本来なら嫌悪感が湧く行為が、音也となら平気で、トキヤも積極的に舌を絡める。年齢も重ね、トキヤだってそれなりの経験を重ねている。音也に好き勝手させるほど初心じゃない。
「――ぅ」
 トキヤは鼻から息を逃がしながら、音也の頭をまるで宝もののように両腕で抱き締める。
 全身であなたが大切なのだと伝える。
 音也の手は、トキヤの服に掛かり、前開きのシャツのボタンを外していく。肌着を着ていないシャツは、はだけられると素肌が覗く。
 直接トキヤより体温の高い音也の手の平で肌を擦られて、トキヤはヒクンと震える。
 肌を撫で回しながら胸の尖りに辿り着いた音也の指は、両手でそれぞれの突起を捏ねくり回す。
「――はぁっ」
 その刺激に、敏感なトキヤは熱い息を吐いた。
「乳首、気持ちいいんだ」
 クスッと音也に喉の奥で笑われて、トキヤは顔を赤くする。アイドルの間は恋愛をするつもりのなかったトキヤは、後腐れのない関係を好んだ。だから必然的に年上の女性と関係を持つことが多い。そのせいか、そういった女性達はトキヤを可愛がりたいと思うらしく、乳首はすでにトキヤにとって性感帯だった。
「ふ――んっ……ゃっ」
 トキヤは無意識に太股を擦り合わせる。
「誰にこんなに開発されたの?もしかして俺が初めてじゃない?」
 そんな風に音也に訊かれて、トキヤは首を振った。
「男性となんか、――あなたじゃなきゃ許すはずないでしょうっ」
「そっか」
 途端、音也の機嫌がよくなる。
「舐めるね」
 言うと同時に、トキヤの乳首は音也の口に含まれていた。
「あっ――やっ!!」
 ちゅうっと吸われて、舌で捏ねられて、トキヤは気持ちよくて身を捩る。
「おとやっ――まって!」
 トキヤはパサパサと音をさせながら、後頭部をシーツへ擦りつける。
 たったこれだけの愛撫でトキヤの前は張り詰めて、ズボンと下着の中で窮屈に締め付けられる。
「あぅう……」
 トキヤが待ってと言っても、音也は聞いてくれない。
「ぅんっ」
 トキヤのささやかな飾りに夢中になっている。
「ひぃっ!」
 愛撫で勃起した小さな粒に歯が当たったかと思うと、軽く噛み付かれる。その刺激は、敏感になった乳首によって何十倍にも感じられて、トキヤは喉を引きつらせた。
「音也ッ」
 トキヤはじわりと下着が湿ったのがわかった。
 トキヤの声に視線を上げた音也と、トキヤは目があった。
「エロイ顔」
 意地悪く音也が笑って、ズボン越しにトキヤの性器に手を這わせる。そこはもう張り詰めて、傍目からでも勃起しているのが如実にわかる様相だった。
「はぅ……っ」
 布越しとはいえ、揉まれたらそれだけで腰の奥に快感が溜まっていく。普段は淡泊なトキヤなのに、今日のトキヤは我慢が効かない。もうイかせて欲しい。
「見ていい?」
 そんなこと一々訊かなくていい。そう思うのに、意地悪な音也の指は動かない。
「早くっ」
 性に貪欲だといわれる十代でもこんなに切羽詰まったことはない。トキヤは自分からベルトのバックルに指をかけていた。
 焦って上手くベルトが外れない。そんな状況にますますトキヤは焦る。
 それを助けるように、音也の手が伸びた。
 今までの苦戦が嘘のように簡単にベルトが腰から抜かれる。
 そうしてズボンの前たてが緩められ、下着の下から性器が取り出された。
「もうビショビショ」
 先端をグリグリと弄られて、トキヤは内股を震わせる。
 ジロジロと無遠慮な音也の視線を感じる。
「ここも何かトキヤらしいね」
 形を観察しながらそんなことを言われて、どう応えろというのか。
「一回イッとく?」
 音也は空いた片手でトキヤのズボンと下着をずりさげながら、そんなことを訊いてくる。
 トキヤは柔らかい素肌に、音也の手の平の熱を感じた。
 尻の狭間に指が入ってきて、トキヤは思わず身を硬くしてしまう。
 後ろから双丘を掻き分けて、指が後孔へ伸びる。固く締まったそこは、何人の侵入も拒んでいた。
「イッたほうがよさそうだね」
 そのトキヤの様子を察した音也は、一旦後ろから指を離して、両手でトキヤの性器を包み込んだ。
 シャツははだけて、ズボンは半分ずりさげられた情けない格好で、トキヤは音也の指の動きを感じる。
 それだけでトキヤのものはトロトロと先走りを溢す。
「か〜わいっ」
 あまりに男として不本意な言葉に、トキヤは一瞬視界が揺れた。
 そのままトキヤのものは音也にぎゅっぎゅと握り込まれて、あっと言う間に爆ぜてしまう。
「ぁ――っ」
 トキヤの声にならない声が部屋に響く。身体は射精に強張り、その後だらりと弛緩した。
 音也は汚れた手の平をねちゃねちゃとトキヤに見せつけて来る。汚いからティッシュで拭きなさい。射精後の倦怠感で、トキヤはそう言うのも億劫だった。
 その手でズボンと下着を剥ぎ取られ、トキヤは一瞬眉を顰めた。いくら洗濯するといっても、精液がベッタリと付いたそれは何となく忌諱してしまう。
 けれどだらしなく投げ出した脚を音也が掴んだせいで、トキヤはそれどころでなくなってしまった。
 膝を立てさせられ、脚を広げられる。その間に音也は座り込んだ。
 音也に向かって脚を開く格好に、トキヤは一気に赤面する。
 けれどこれからすることを考えればそれは至極当然の流れで、拒否することも出来ない。トキヤは羞恥に両腕で顔を覆ってしまった。
「ト〜キヤ。顔見せて」
 そんなこと言われても、どんな表情をすればいいのかトキヤはわからない。腕越しに首を振って音也の願いを拒否する。
「ふ〜〜ん」
 少し音也の声色に不穏なものが混じる。羞恥と恐怖を天秤に掛けて、トキヤは羞恥をとった。
「よっと」
 音也がトキヤの両脚を掴んで持ち上げる。まるで赤ん坊がおしめを替えられるようなそれは、男の一番弱い部分と、恥ずかしい部分を無防備に晒す格好だ。
「トキヤ、自分で脚抱えて」
 両脚を持ち上げているせいで、音也は両手が塞がっているようだった。だからトキヤに自分で脚を持ってくれと言う。
 けれどそうすると、顔の前の腕を外さなければならない。
 トキヤは出来ないと首を振った。
「やっぱり止めるの?」
 冷ややかな音也の声が響いた。
 ヒヤリとトキヤの背筋に恐怖が走る。やはり無理なのだ。トキヤの思いなんてその程度なのだ。トキヤは音也にそう思われたくない。
 トキヤはぎゅっと目を瞑って、勢いをつけて脚を抱え上げた。
(後略)

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