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before daybreak


 私は重い身体を引きずって、早乙女学園の正門を潜る。
 夕方からの番組収録と、その後の接待で身体はクタクタだった。
 毎週毎週様々な相手への接待で、私の身体はボロボロだ。毎週末誰かしら相手を見つけてくるマネージャーはやり手なのだろう。所謂タレントを商品とした「枕営業」でしか、仕事を取ることが出来ないマネージャーだったが。
 救いは、レギュラー番組の収録が毎朝あるため、接待が金曜日と土曜日にしかセッティングされないことだ。
 今日も朝からの収録を終えていったん学園に戻り、その後夕方からの収録と接待で、明日がオフでなかったら、いくら私でも仕事を放棄したいくらいハードな一日だった。
 
 
 私はHAYATOとしてアイドルデビューしてからすぐに、身体を使った営業をするようになった。もう数年もこんなことを繰り返していて、感覚は麻痺してしまっている。
 初めては、テレビ局のお偉いさんだったか。高く売れたぞと喜んでいたマネージャーをいまだに覚えている。そうして、私の処女は売られ、ドラマの鍵となる脇役を対価に受け取った。それからは、スポンサーとなる企業の重役と寝てCMをもらったり、CD発売に合わせて、番組プロデューサーと寝たり。私がテレビに出るためには、必ず対価を支払わなければならなかった。
 弱小プロダクション所属の私は、そこまでしなければテレビに出られなかったのだ。
 そうして枕営業が当たり前になり、今ではまるでダッチワイフのように抱かれる日々だ。CDを発売するとなると、レコード会社の上役や、テレビ局のプロデューサーが声を掛けてくる。最近では、私を抱くためにドラマのタイアップの話を持ちかける人間までいる。
 接待で気に入られれば仕事が入って来ると言っていたマネージャーの言う通りの状況に、もう笑いも出てこない。私は私の仕事を評価されたわけでなく、私の身体と性技を評価されて仕事をしているのだ。
 
 
 部屋のドアを開けて漏れてきた明かりに顔を顰める。普段なら同室者は寝ている時間だった。
 底抜けに明るく、汚いことは知りませんという純粋な性格の同室者の相手を、今はしたくない。けれど、そういう日に限って、音也は私の帰りを起きて待っている。
「トキヤ!お帰り」
 ギターを抱えた音也の笑顔が目に痛い。
「もう遅い時間ですよ。ギターは片付けて寝たらどうですか?」
 早く寝てくれと心で念じつつ、平常心を心がけて、声を絞り出す。
「明日休みだし、トキヤの顔を見てから寝ようと思って……」
 そう言って笑う彼の目を、私は直視することが出来ない。
「私も風呂に入ったら休みますから、貴方も早く休みなさい」
「わかってる。お休み!」
 音也がギターを片付けるのを尻目に、私は浴室に向かう。
 行為の後にシャワーを浴びてはいたけれど、もう一度丁寧に肌を磨き上げる。私の価値はこの身体なのだから、それを疎かには出来ないのだ。
 ごく偶に、なぜ私はここまでしてアイドルにしがみついているのだろうと思う。
 アイドルになろうと思った切っ掛けは、本当に些細なことだった。
 
 
 当時子役として仕事をしていた私は、撮影の待ち時間を近くの公園で過ごしていた。ドラマの撮影で、劇中で歌うシーンがあった私は、その練習をしていたのだ。その際に無遠慮に近寄ってきた同年代の男児……いえ、何の皮肉か、音也と名乗った子供に、手放しで褒められたのだ。歌や芝居は出来て当然と評価され、久しく褒められたことなどなかった私は、その言葉に嬉しくなってしまった。せがまれるまま、歌って踊って見せ、それを見た音也はキラキラと輝く瞳で、私を見つめてきた。
「アイドルみたいだね!」
 その言葉が、私の運命を決めたのだ。
「アイドルってキラキラしてみんなを歌で元気にするんだって!お前の歌、キラキラしてすっごかったA」
「アイドルになれよっA」
 畳み掛けられるように告げられた言葉に、幼い私は興奮してしまった。手放しで凄い凄いと褒められて、その気になってしまったのだ。
 
 
 それから、劇団を離れ、プロダクションに所属し、アイドルを目指して今がある。
 何度かもう辞めようと思ったこともある。その度に、あの時の音也のキラキラした笑顔がちらついて思い切れなかった。そうしてずるずると過ごしているときに、早乙女さんの誘いを受けたのだ。その誘いを聞いたときは、信じられなかった。シャイニング事務所へ所属するチャンスなど、この業界にいる人間にとって咽から手が出るほど欲しいものだ。それが、ある日突然目の前に投げ与えられたのだ。早乙女さんと事務所の影響力は、弱小事務所に所属しているからこそ実感している。そして、早乙女さんが枕営業を所属のタレントに決してさせない、相手にも許さないというのも業界では有名だった。シャイニング事務所へ所属出来れば、今の環境から抜け出すことが出来る。蜘蛛の糸のように細い希望でも、私に残された最後のチャンスだった。
 そうして入学した早乙女学園での、音也とのまさかの再会に、私は心底驚いた。
 これが、シャイニング事務所へ所属出来た後だったら、私の気持ちも違ったと思う。けれど、私はいまだに弱小プロダクション所属で、仕事を得るために枕営業を繰り返している。薄汚れた私を見て、音也が凄いと褒めるのも、キラキラとした瞳で見てくるのも、ただただ苦痛だった。そんな目で見ないでください。私は凄くないです。汚いんです。と何度叫びそうになったことか。
 これが、相手が音也でなければもっと冷静にいられたはずだ。
 本当に、人生とは皮肉だらけだ。
 
(中略)
 
「俺、さっきもトキヤに好きだって言ったよね!?なのに何でそうなるの??トキヤも俺のことが好きって事でしょ?それって、両想いって事だよね!?……ね!?」
「え……?」
 音也が何を言っているのか、理解出来ない。
 両……想い?
 呆然としてしまう。
 私より音也の方が立ち直りが早かったらしい。
「俺もトキヤの事が大好きだよ」
 音也の唇が私の唇に押し当てられる。
 始めは何が何だか分からなかった。じわじわと現実を認識し出す。
 音也からキス――されている。
 音也もこういう意味で、私のことが好き?
 ポンッと答えが飛び出して来た。
 私は今、あの音也とキスをしているのだ。無意識に、音也の背中に手を回そうとしてしまう。
 薄く開いた唇を、音也の舌が舐めていく。条件反射で開いた唇の間に、舌の感触を感じて、私はハッと現実に立ち返った。
「音也!止めなさいっA」
 舌を入れてこようとした音也を、私は渾身の力で突き飛ばした。
 ここ最近の相手を高速で頭に思い浮かべる。先日の検査は全て陰性だった。けれど、潜伏期間のある病気もある。それらに罹っている可能性は――。
「何でだよ!?」
 急に拒絶された音也が憤慨している。そうして、音也に襟首を掴まれてしまう。けれど、これはその程度のことで看過出来るほど軽い問題ではない。
「軽率ですっA」
 最近の相手は、私が不特定多数と性交渉を持っていることを知っていて、自衛のためにセーフセックスをするような相手ばかりだった。だから、大丈夫だとは思うが万一の可能性もある。
「他の人は良くて、何で俺は駄目なんだよっ!」
 音也にとってその主張は正当なものだろう。図らずも、先ほど私は音也に想いを返してしまったのだ。両想いの相手に若い音也がこういった行為に走りたがるのは想像に難くない。
 けれど、貴方だから駄目なのだ。
 私が貴方に万一の疵を残すことがないよう、日常生活でどれだけ努力していると思っているのだ。
「貴方はやっぱり分かっていない!」
 そう。分かっていないから、私に愛を囁けるのだ。
「私は不特定多数と性交渉を持っているんです。そんな相手と、こういうことをするリスクをもっと考えなさいA」
 自分で好きな相手にこんなことを言う私は、なんて滑稽なのだろう。
 音也が初めての相手であれば、こんなこと言うこともなかっただろう。けれど、そんなこと夢物語で。
 私の言葉に、現実を知った音也がどんな表情をしているかなんて、知りたくもない。
 一時の熱情に浮かされ、私に告白したことを後悔しているだろうか。
 力の抜けた音也の腕に、私は背を預けていた壁伝いにしゃがみ込む。
「分かりなさい、音也。私がいる世界は、そんな世界なんです」
 音也には、こんな現実、知らせたくなかった。
 早乙女学園からシャイニング事務所へ進むならば、知ることもない世界だ。
 それほどに今の私がいる場所と、音也が目指している場所は違うのだ。
「何で、トキヤばっかり……」
 音也の声が同じ高さから聞こえてきた。私の目線に合わせるために、音也もしゃがみ込んでいる。
 私は音也の言葉に苦笑した。
「皆していることです。そういうことをしなくても、スターダムにのし上がれるのは、本当に幸運な一握りの人間なんですよ」
 そうして音也はその一握りの人間になるだろう。
「芸能界とはそういうところです」
 目の前で泣きそうになっている音也に、触れるだけのキスをする。
 音也の瞳に、私への嫌悪が浮かんでいないことに安堵し、立ち上がった。
「先ほどの告白は、なかったことにしましょう」
 今はこれが一番だ。もし、事務所を移籍出来たら、あらためて考えればいい。
「何で!?」
 納得出来ない音也が噛み付いてくる。けれど、きっとそれが最善だ。
「恋愛禁止令。忘れたんですか?」
 私の言葉に、音也が怯む。
「お互いにデビュー出来て、その時にまだ気持ちがそのままなら、あらためて付き合いましょう」
「やだよっ!なかったことになんか出来ないA」
 聞き分けのない子供のような音也が愛しいなど、私も末期だ。
「駄目です」
 音也が耐えられるはずがない。恋人と同室で性行為に及べない状況は、若い音也にとって蛇の生殺しだ。しかもその相手は、他人にその身を日々売り歩いているのだ。
「一年なんてあっという間です。それまでは、ただのルームメイトです」
「やだやだやだA」
「音也っA」
 私は駄々を捏ねる音也を腹の底から叱りつける。
「あまりにも聞き分けがないと、私は出て行きます」
「一ノ瀬トキヤ」として歌うことより、音也が大事など、私も何をとち狂っているのか。
「え……?」
 驚いて目を見開く音也は、幼い頃の面影がそのまま残っている。
「歌ならどこででも歌えるんです。貴方が理解してくれないのなら、音也と一緒に暮らせません」
 幼い頃の出会いを、最悪な形で終わらせるくらいならば、ここで一度終わらせてしまった方がいい。
「……酷いよ…」
 酷くてもいいのです。音也が守れるのなら。
「どうするんですか?」
 音也との間に、しばらく沈黙が横たわる。その間に、音也は必死に考えているのだろう。
「……卒業したら、……卒業したら絶対に恋人になってくれる?」
「絶対」なんて確証はどこにもないのに、肯定する私はきっと酷い人間だ。
「ええ」
 早乙女学園を卒業してシャイニング事務所に入所出来なかったときには、泥水の中を這いずり回る人生しか私には用意されていない。そうなったら、音也とは二度と「一ノ瀬トキヤ」として会うことはないだろう。
「分かった。今度、トキヤのオフの日に、一度だけデートしてくれたら諦める」
「――分かりました」
 音也の要求は、それが最大の譲歩だろう。そう察した私は、音也の要求に首肯した。
「今週末の土曜日の午後、出かけましょう」
 
(後略)

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