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月見草

 時は江戸。活気のある城下町では多くの人が行き交い、多くのものが取引される中、農村部は春の長雨によって、どんどん生活が苦しくなっていた。
「時康!」
 なじみ深い子供の声に、時康は振り返る。
「どうしてっ」
 駆け寄ってきた子供は、ボロ布を身に纏い、泥だらけになっている。
「音康……」
 時康はその姿に眉を顰める。
「なんで行っちゃうんだよ!」
 音康が時康へ縋り付く。今日、時康はこの村を出ることが決まっていた。
「芝居小屋の主が、私を引き取ってくだざるそうで、そこに行けば今よりいい暮らしが出来るんです」
 まだまだ考えの幼い音康は、時康の言葉をそのまま受け取るだろう。その裏の意味を音康が知る必要はない。時康はそう決めていた。
「音康。あなたにも仕送りが出来る。腹一杯に食事が出来るんです」
「………でも」
 音康の涙腺が決壊した。
「時康には会えなくなっちゃうんでしょう!」
 村中に音康の泣き声が響き渡る。
「もし、あなたが大人になっても、私に会いたいと思っていてくれるなら、これを持って江戸に来なさい」
 時康は懐に忍ばせていた巾着袋を音康に握らせる。
「……?」
 それを不思議そうに見る音康に、時康はそっと囁いた。
「あなたのお父上が残したものだそうです。あなたの叔母上が亡くなるときに、私が預かりました。これがあれば江戸を訪れることも可能だと伺っています」
 単なる農民が耕作地を離れることは出来ないが、それがあれば自由に出来ると、トキヤは音也の叔母から聞いていた。
「私は江戸一番の役者になって見せます。だから音康。大人になったら私に会いに来なさい」
 時康は溢れそうになる涙を我慢して、音康に語りかける。もう二度と会えない可能性もあるのに、涙で視界が曇って音康を見ることが出来ないなんて、時康は嫌だった。
「時康。そろそろ……」
 すっかり旅支度が整っている時康は、付添人の声に首肯する。
「音康。元気で――」
「時康……っ――時康!」
 行かないで。音康のそんな心が、時康にも伝わってくる。時康は後ろ髪を引かれながら、土を踏みしめる。それでも聞こえる音康の声に、引き摺られる心を戒めるため、時康は固く拳を握り締める。
 そうして、時康は生まれ育った村を後にした。
 江戸を目指し出発した時康の背後では、いつまでも時康を呼ぶ音康の声が、響き渡っていた。

(中略)

「っと」
 そうやって入り口で立ち止まっていたせいか、後ろから来た人物とぶつかってしまった。
「すみません」
 時康は慌てて振り返って謝罪する。
「いや。そっちこそ、怪我……は大丈夫そうだな」
 肩を竦めるその人物は、時康には信じられないほど着物を着崩して、肌を露出している。普通ならみっともなく感じるだろうそれに、けれどその人物は色気さえ纏わせていた。
「あなたも参加者ですか?」
 この部屋にいるということは、そうであろうと思いつつ、時康は思わず尋ねてしまった。
「ああ。兄貴に言われてね」
 肩を竦める様子も様になっている。
「ええ…っと。ここであってるよなっ」
 その後ろから元気な声が聞こえてきた。
「おちびちゃん」
 どうやら二人は知り合いのようだ。
「恋三郎。俺はちびじゃねえ!」
「翔蔵ちゃん。待ってよぉ……」
 どんどん人が増えていく。
「夏清。廊下を走るでない」
 気付いたら時康を入れて人が五人になっていた。
「夏清……!ぐるじい――」
 翔蔵は夏清に羽交い締めにされて、血の気が引いている。
「夏清。翔蔵が死んじゃうよ」
 最後に一人。赤髪の青年が現れた。
「おと……やす」
 時康はその人物を見て、無意識に呟いてしまう。目の前に現れた青年は、どこか音康の面影のある人物で、音康の成長した姿だと言われたら、納得出来るほどだった。
 時康が呆然としている横で、翔蔵が夏清から解放されて、その青年の方を向いた。
「よっ!音康。ひさしぶりだな」
 その瞬間。時康の時間は止まった。今、翔蔵は何といったか。
 時康が逢いたくて逢いたくて夢にまで見た人物の名前を言わなかったか。
「翔蔵。ひさしぶり!」
 時康が呆然としている間も、会話は続いていく。
「恋三郎も」
「ひさしぶりだね」
 恋三郎と挨拶をした音康の視線が、自然と時康へ流れてくる。
「恋三郎。そっちの人は――……」
 段々とその大きな瞳がさらに大きく見開かれていく。
「時康?」
 疑問形で呼ばれた名前に、時康は固まってしまって反応できなかった。
「時康?羽矢斗じゃねえの?」
 音康に翔蔵が不思議そうに問いかけた。
「あ、ああ!そうだよね。時康がいるわけないよね」
 その翔蔵の言葉に、音也は納得したように頷いた。頷いてしまった。
 時康が肯定も否定もする間もなく、音康は納得している。時康はそんな音康の様子が信じられなくて、喉から声が出てこない。
 あんなに逢いたいと願っていたはずなのに。――やはり嫌な予感は当たってしまう。音康にとって時康はどうでもいい存在になってしまったのだ。
 だから江戸にいても逢いに来てくれなかったし、時康はこんなに動揺しているのに、平然としていられるのだ。
 ようやく体の動きを思い出した時康は誰にも悟られないよう拳を握り、動揺を押し隠した。
「そろそろ集合時間のようです。私はこれで」
 これ以上この場にいたら動揺を面に出してしまう。時康は心の中で何度も冷静にと唱えながら、集団から離れて行った。
「何か羽矢斗の印象、ちょっと違うくね?」
 そんな声が背中から聞こえても、一切振り返らない。


 どうやらあの五人は一塊で行動するようだ。そんな五人から距離を取りながら、時康は自分の番を待つ。今日は一人一人、自身の得意な音楽を姫の前で披露して、気に入られた者が次期将軍として姫と夫婦になるという趣旨だった。
 姫が気に入るか、が重要で純粋な上手い下手を競うわけではない。その為流石の時康も優勝できる自信はない。けれど姫に気に入られずとも、時康の唄が誰かに認めてもらえれば、それは時康として唄う足がかりにきっとなる。
 次々に候補者が呼ばれて、特設舞台で自分の音楽を披露していく。あの五人組もばらばらに呼ばれている。そうしていよいよ、時康の番だった。
 家老に呼ばれて時康は舞台に立つ。
「私は得意な唄を披露したいと思います」
 毎日芝居小屋で舞台を踏んでいると言っても、これだけの舞台に立った経験はない。目の前には姫らしき人物と、その父である将軍が座り、周囲も家臣で固めてられている。さらにその先には、今日という娯楽を楽しむためにやってきた町人たちが豆粒になるほど詰めかけている。
 時康の姿を見た観客からざわめきが起こる。
「羽矢斗じゃないの?」
 そんな声を気にしていたら、この舞台には立てない。時康はただ唄うため、意識を集中させた。
 「私の声を信じてください」という唄は、時康が今日この日のために準備した唄だ。それを朗々と歌い上げる。
「まあ……素敵な唄ね」
 観客からそんな声が聞こえてきて、時康の唄にも自然と力が入る。
 伸びやかに。この声が全ての観客へ届くように。時康は全力で歌った。
「――来たんだ」
 最後まで歌い終わって、時康は静かに頭を下げる。
 会場からは拍手が溢れて来る。
 時康はこの拍手が聴きたかったのだと思った。自分らしく歌った唄。それへの反応。この瞬間の時康は間違いなく幸福だった。
「凄く素敵です」
 正面に座った姫が両手を胸の前で合わせて、はうっと息を吐く。
「姫は意中の相手が見つかったのかい?」
 姫の父親である将軍が、姫に尋ねる。
「どの方の音楽も素敵で、誰か一人には決められません」
 姫は今まで聴いた音楽を思い出して、うっとりしながら頬を赤らめる。
「……うむ。そうか――」
 そんな姫の横で将軍は悩ましげに呟いた。
「殿。一年様子を見てはどうでしょう。姫様の婿ということは、殿の後継者です。音楽の才以上に、政の才が必要になりましょう。姫様の気に入った者たちに影をつけて、一年間じっくりと候補者を選定するのです」
「それは名案だ」
 進言の内容をたいそう気に入ったのか、将軍は何度も首肯する。
「姫。今回の参加者から、姫の気に入る音楽を披露した者を申してみよ。その者たちを姫の婿候補としようぞ」
 その鶴の一言により、今回の参加者の中から幾人かが姫の婿候補として選定された。もちろん時康もその中に入っていた。
 事情を説明され、参加者は帰される。候補に挙げられた者たちは、個々に説明を受けて解散となった。
「一年間、城から監視をつけさせていただきます。隠密行動を得意とする者たちですので、周囲にばれることはありませんので、ご安心を。一年かけて、殿の後継者たる才を認められたら、一年後の同日にもう一度城に招待します」
 そんな説明に、時康は躊躇を覚えた。時康が羽矢斗であるということは重大な秘密だ。一年間監視されるということは、将軍や姫に羽矢斗の正体が知れるということ。
 いくら時康として唄いたいと言っても、安易に羽矢斗の正体を公にするつもりは、時康にはなかった。
「これは決定事項です」
 そんな時康の躊躇を察したのか、城の者はピシリと時康に言う。
 走り出したものは今さら止められない。そう覚悟を決めた時康は「わかりました」と応えた。


 一通りの説明も終わった時康は城から下がる。石畳を歩く時康は、城壁に寄りかかっている人物に、思わず足を止めてしまった。
「おとやす」
 言葉は声にならなかった。
「あの。羽矢斗さんですよね?」
 相対した音康は、柄になく緊張しているようだ。
 時康はここで何と返事をするか逡巡する。時康だと名乗るか、知らぬ振りで羽矢斗として振る舞うか。相手が音康でなければ、羽矢斗の弟の時康だと、躊躇いなく名乗っただろう。けれど、相手は音康。今さら時康だと名乗って何になる。
 いっそのこと、あえて羽矢斗と名乗り、初対面を装った方がいいのではないかと思えてくる。
 結局、時康はいくら音康から軽んじられても、音康への未練を捨てきれなかった。捨て去られた時康として相対するより、初対面の羽矢斗として相対する方を選んでしまう。
「そうだにゃ?きみは音康くんだよね?どうしたの?」
「あ……何でもないですっ」
 そんな時康に音康は勢いよく首を左右に振る。
「俺、羽矢斗さんの噂、よく聴きます!俺と同じ年くらいなのに、凄いなって思ってて。これからも頑張ってください。応援しています!」
 音康の言葉に、時康は心の中で哄笑する。皮肉な話だった。時康のことはどうでもいいくせに、羽矢斗は応援しているなんて。
「それだけ言いたくてっ」
 まるで言い逃げるように、音康は背を向けて一目散に走り出してしまう。
 時康が反応を返すより早く、音康の背中は見えなくなっていた。
「――馬鹿みたい」
 時康は音康の消えた先を見詰めて、ポツリと呟いた。
 今まで何のために頑張ってきたのか。音康にとって時康なんてちっぽけな存在で、羽矢斗は応援する対象だなんて。時康にとっての唯一の希望が消えてしまった。
 立ち止まっていた時康は重い足取りで芝居小屋へ帰る道を歩み始める。
 落ち込もうが絶望しようが羽矢斗の舞台はやってくる。時康に立ち止まる時間などないのだ。
 そうやって踏ん張ってみても、心の支えをなくした時康は限界だった。

(中略)

 そうしてどちらからともなく唇を重ね合う。一昨日はただ重ねるだけだったそれ。けれど今日の音康は、舌で唇の間を開くように促してきた。
 その仕草に、時康は少しだけ唇を開ける。そうすると、口の中へ、音康の舌が入ってくる。
 それにどう返せばいいのかわからない時康は、戸惑って音也の着物を握り締めるてしまう。
「初めて?」
 一旦離れた音康に訊かれて、時康は真っ赤になりながらも頷いた。
「そっか」
 それだけ言った音康は、時康の手を引いてお社の中へ入っていく。
「音康くん」
 ここは神様のいるところだ。そんなところに勝手に入っていく音康に、時康は咎める声を上げる。けれど悪びれない音康は、薄暗い室内で後ろから時康を抱き締めた。
「羽矢斗。抱きたい」
 耳元で欲望を滲ませた音康の声がする。その内容に、時康は停止してしまう。
 役者稼業をやっていれば、好むと好まざるとそういう場面は出てくる。その上羽矢斗の噂だ。後援者の宴席に侍っている、や熱心な谷町が多くいると言われる羽矢斗が、未経験など誰が信じるだろう。
 接吻が初めて、というのは未経験と等しくはならない。遊女などは、あえて接吻だけは客に許さないと言われるくらいなのだ。
 きっと音康も、羽矢斗のことを経験豊富だと思っている。
 時康はどう返そうか、ぐるぐると考えた。けれど答えなど出てくるはずもない。
 そうやって時間だけが過ぎていく中、痺れを切らした音康の手が、着物の袷から中へ入ってきて、素肌を撫で始めてしまう。それに驚いた時康は固まってしまって、抵抗らしい抵抗も出来ない。
 胸を揉むように動いた手が、普段は意識もしない乳首を摘み上げた。
 それに驚いて時康は初めて身動いだ。
「可愛い」
 そんな時康に音康がふっと笑う。
 胸を弄ぶ片手はそのままに、もう片方の音康の手が、着物の裾を割って太股を撫でながら、時康の股間に伸ばされた。
「やっ」
 流石にそこまでされて、時康は羞恥で赤くなりながら、しゃがみこんだ。
 ぎゅっと縮こまる。
 手慣れていると思っていた羽矢斗の反応に、音康はきっと訝しく思っているだろう。それでも羞恥や色んな感情がない交ぜになって、時康は顔を上げられない。
 そんな中でも、好きな人に触れられた身体は熱くなっていて、股間の時康のものも少し頭を擡げている。それがますます時康の羞恥心を煽る。
「羽矢斗。もしかしてこういうことも初めて?」
 そんな時康を背中から抱き締めた音也が、そう訊いてきた。
 時康はコクリと頷くことで、音康に答えた。
「そっか」
 音康の声が嬉しそうだ。
「なら、今日は気持ちいいことだけするから。だからいい?」
 そう言いながら、音康の手はもう不穏に動き出している。
 後ろから回した手で、時康の着物の袷を乱して、裾を割ってしまう。真っ白な素肌が薄暗い社の中で露わになる。
「ぅんっ」
 時康だって男だ。直接的な刺激をそこに与えられれば、つい反応してしまう。褌の上から音康が時康の性器を包み込むように握って、刺激を与えられて、じんわりと布を湿らせてしまった。
「羽矢斗の身体を見せて」
 そう言いながら音康は着物を脱がせていく。手際よく帯が外されて、その器用さに驚く暇もなく、時康は乱れた襦袢一枚になっていた。
 褌もあっさりと外される。
 ほとんど隠すものがなくなってしまい、時康は自身を抱き締めることしかできない。
「可愛い」
 そう言いながら、音康は最後の肌襦袢まで脱がせてしまった。
 時康の白い裸体が社の中に浮かび上がる。
 役者として筋肉質になりすぎないよう気をつけている時康の身体は、そこらの女より美しい。
 それを見た音康は、ほぅっと吐息を零した。
「もっとよく見せて」
 時康の背後にいたはずの音康は、いつの間にか正面に回ってきていて、時康を板の上に押し倒した。
 思わず身体を隠そうとした腕は、音康の片手で頭上に縫い付けられる。
 身体をじろじろと見られて、時康は羞恥で死んでしまいそうだった。
 もう一度音也の顔が近づいて来る。三度目の接吻は時康の頭を酸欠にした。
「はあ……っ」
 熱の籠もった息を吐いた時康は、ぼうっと天井を眺める。その間に、音康の唇は胸から腹へ降りて行っている。そっと両脚を開かれて、今まで誰にも許したことのないそこを、音康の目の前に晒してしまっていた。
「ひゃっ」
 突然の感触に、時康は正気に戻る。
 音康が時康の菊門を舐めていた。
「や……っ!音康くん。何!?」
 性交にそこを使うことは、知識として知っていた。それでもそんなところを舐められて、時康は驚いてしまう。
「入れないから。ちょっとだけ、ね?羽矢斗」
 そんなことを言いながら、菊門を潜り抜けて、音康の舌が中へ入ってくる。その感触に、時康はいやいやと首を振った。
 初めて異物を入れられるそこは気持ち悪くて、時康の目尻に涙が溜まっていく。
「音康くん……それ変。やだぁ……」
 こんなときまでも羽矢斗の演技を続ける自身が滑稽だと思いながら、時康は音康へ止めてくれと懇願する。
 あまりに嫌だと繰り返すからか、音康の舌がようやく離れていく。
「羽矢斗」
 名前を呼ばれて、時康は音康を見る。
「本当に嫌?俺、羽矢斗の初めてが欲しい」
 しゅんと擬音語が聞こえそうなくらい、音康はしょんぼりしている。
 窺うように見られて、時康は返事を躊躇ってしまう。昔から時康は音康のおねだりに弱かった。
「……嫌じゃない」
 時康は観念してぽつりと返事をする。
「でも、でも。恥ずかしいよぅ」

(後略)




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